石井岳龍

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石井 岳龍(いしい がくりゅう、1957年1月15日 - )は、日本映画監督神戸芸術工科大学教授。

改名前の石井 聰亙(いしい そうご)の名で広く知られている。

略歴

福岡県福岡市生まれ。福岡県立福岡高等学校日本大学藝術学部卒業。1976年、大学入学直後、8mm映画デビュー作『高校大パニック』を撮り、熱狂的な支持を得る。

続く1980年『狂い咲きサンダーロード』でジャパニーズ・ニューウェイブの急先鋒となる。1982年『爆裂都市 BURST CITY』を発表。斬新で前衛的なアクション映画を撮り続け、1984年の『逆噴射家族』はイタリアの第8回サルソ映画祭グランプリ等、国内のみならず海外でも高い評価を受ける。

また、自らがボーカルをつとめるバンド「石井聰亙&バチラス・アーミー・プロジェクト」で音楽活動も行い、自作映画『アジアの逆襲』の音楽を担当して、同題名のレコード・アルバムも発売した。

その前後からジャパニーズパンク/ニューウェーブシーンと共闘した数々の音楽ビデオと実験的短編映画製作に打ち込み、1994年の『エンジェル・ダスト』(バーミンガム映画祭グランプリ)、『水の中の八月』(1995年)、『ユメノ銀河』(1997年・オスロ映画祭グランプリ)と作品を発表。続いて、時代劇とSFXを融合させた超大作『五条霊戦記』(2000年)が公開されるが、期待されたほどの興行収入を得ることはできなかった。

21世紀に入ってからは、映画のジャンルを超越したハイパーエキサイトムービー『ELECTRIC DRAGON 80000V』(2001年)、『DEAD END RUN』(2002年)を発表。2005年には、フルデジタル機材を使用して制作した『鏡心・3Dサウンド完全版』を発表、全国上映ツアーを行った。2006年、監督生活30周年を迎え、記念の初期作品集が発売された。

彼のデビュー以来の鋭い表現手腕は、映画に留まらず、ミュージッククリップ、ビデオアート、写真、ライブ活動等、様々なメディアで発揮され続けている。尖端的な音楽と、風景や光の情景をミックスさせた映像表現手法は、「実験的」と評されながらも、特に同じ業界の人間や、アーティストからの評価が高いことでも有名。ちなみにクエンティン・タランティーノも石井聰亙を敬愛しており、映画『キル・ビル Vol.1』の中でルーシー・リュー演じる女性を「オーレン・イシイ」と名づけたのは、「石井輝男、石井聰亙、石井隆石井克人…と好きな日本人監督がイシイばっかり」だったからだという。

2010年1月17日、公式ブログで、今後は石井岳龍の名前ですべての活動、仕事を行うと発表[1]

監督作品

映画

テレビドラマ

PV

CM出演

脚注・出典

  1. 「芸名変えました。」(2010年1月17日付) - ISHII GAKURYU'S MOMENT BY MOMENT (公式ブログ)、2011年12月17日閲覧。

外部リンク