田原本町
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田原本町(たわらもとちょう)は、奈良県磯城郡の南端に位置する町(中和地区)。
目次
地理
奈良盆地中央部に位置し、全域が平坦地である。町の東部を大和川が北流する。
人口
テンプレート:人口統計 奈良県統計 田原本町の人口
- 2007年10月1日現在 : 32,595人
- 人口増加率(2002年→2007年) : -1.6%
歴史
奈良盆地のほぼ中央、東に初瀬川、西に飛鳥川が流れる平坦地に位置する。古代の大和国城下郡鏡作郷・室原郷・黒田郷・賀美郷、十市郡飯富郷の地で、鏡作神社(八尾)・多神社など著名な延喜式内社が鎮座する。また弥生時代の代表的遺跡である唐古・鍵遺跡(国の史跡)を有する。賤ヶ岳の七本槍のひとり平野長泰が田原本に領地を拝領(のちの田原本藩)。
沿革
- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制の施行により、近世以来の田原本村の区域をもって田原本町が発足。
- 1897年(明治30年)4月1日 - 十市郡田原本町の所属郡が磯城郡に変更。
- 1956年(昭和31年)9月30日 - 多村・川東村・平野村・都村と合併し、改めて田原本町が発足。
- 1957年(昭和32年)7月1日 - 大字飯高・大垣・豊田・西新堂・新口を橿原市に編入。
- 1958年(昭和33年)10月15日 - 大字檜垣・遠田・海知・武蔵を天理市に編入。
町域の変遷
明治22年 | 明治29年 | 昭和31年 | 現在 | ||
---|---|---|---|---|---|
奈良県 | |||||
式下郡 | 川東村 | 磯城郡 | 川東村 | 田原本町 | |
都村 | 都村 | ||||
十市郡 | 田原本町 | 田原本町 | |||
多村 | 多村 | ||||
平野村 | 平野村 |
行政
- 2004年7月、吉川周伯助役が町幹部職員に参議院選挙での自民党比例代表候補への票の取りまとめを依頼したとして公職選挙法違反(公務員の地位利用)で県警捜査2課に逮捕された。
- 2006年11月、任期満了に伴う町長選挙で寺田典弘が初当選した。寺田は2010年に再選した。
- 町議会:議員定数16名。
なお、衆議院議員選挙の選挙区は「奈良県第3区」、奈良県議会議員選挙の選挙区は「磯城郡選挙区」(定数:2)となっている[1]。
県の施設
経済
本社を置く主な企業
金融機関
日本郵政グループ
(※2014年6月現在)
田原本町内の郵便番号は「636-02xx[2]」「636-03xx」(いずれも田原本郵便局の集配担当)となっている。
教育
- 奈良県立磯城野高等学校(旧:奈良県立田原本農業高等学校)
- 奈良県立高等養護学校
- ※ かつては田原本町内に奈良県立志貴(しき)高等学校もあったが、奈良県立桜井商業高等学校(桜井市)と統合再編し(「奈良県立奈良情報商業高等学校」に校名変更)、2007年(平成19年)3月をもって閉校した。
隣接する自治体
交通機関
鉄道
- 近畿日本鉄道(近鉄)
バス
- 奈良交通の田原本バスセンターと国保中央病院を結ぶ路線がある。リハビリセンターへの路線もあったが送迎バスに転換され廃止された。
道路
高規格幹線道路
一般国道
県道
出身有名人
- 辻本史邑 書家 川東村(昭和31年に田原本町と合併)出身
- 住井すゑ
- 森跳二(元広島東洋カープ投手)
- 上島忠雄 世界初の缶コーヒー考案者でありUCC上島珈琲の創業者
- 吉田之久
- 吉田隼人 - 自転車ロードレース選手