瀧川資言
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瀧川 資言(たきがわ すけのぶ、1865年 - 1946年)は、日本の漢学者。戸籍名は龜太郎、字は資言、号を君山。『史記会注考証』(『史記』の注釈書)を編纂したことで知られる。
生涯
1865年(慶応元年)11月12日に出雲国島根郡にて士族であった杢之丞の長男として生を受けた。1887年(明治20年)、東京帝国大学古典講習科卒業。1897年(明治30年)に第二高等学校教授、1926年(大正15年)に大東文化学院教授となる。1931年(昭和6年)、東北帝国大学より文学博士の学位を授与される。1946年(昭和21年)2月23日、逝去。戒名は龜鏡院君山自秀居士。
東京および仙台に居住することが多かったが、1945年(昭和20年)3月31日からは戦火を逃れるため郷里の松江市に疎開した。同市北堀町に彼が晩年を過ごした武家屋敷の旧宅(伝、塩見小兵衛邸)が現存している。博覧強記で、取材に訪れた新聞記者を驚かせ、著作の『史記会注考証』の署名は「日本出雲瀧川資言」である。
「瀧川氏系図」によれば、戦国時代の武将滝川一益の兄であった瀧川範勝(瀧城主)は、松平出雲守大番四番組瀧川資信の四世前の祖とされ、その瀧川資信を瀧川氏元祖として、資言は十世にあたるとされる。
著書
- 『支那史』市村瓚次郎共纂著 吉川半七 1891-92
- 『高等漢文標註近古文鈔』編 金港堂 1913
- 『纂評論語集註』編 金港堂 1913
- 『審定十八史略鈔』編 金港堂書籍 1928
- 『審定日本外史鈔』 編 金港堂書籍 1928
- 『審定孟子鈔』 編 金港堂書籍 1928
- 『審定論語鈔』編 金港堂書籍 1928
- 司馬遷『史記会注考証』裴駰集解 司馬貞索隠 張守節正義 東方文化学院東京研究所 1934
- 『史記会注考証 孔子世家』東方文化学院東京研究所 1935
- 『史記会注考証 仲尼弟子列伝』東方文化学院東京研究所 1935
- 『史記会注考証 伯夷列伝・管晏列伝・老荘申韓列伝』東方文化学院東京研究所 1935
- 黄堅『纂標古文真宝前集』松雲堂書店 1937
- 『史記会注考証 太史公自序』東方文化学院東京研究所 1937
- 『史記会注考証 孟子荀卿列伝・孟嘗君列伝』東方文化学院東京研究所 1937
- 『史記会注考証 項羽本紀・留侯世家・伯夷列伝・魏公子列伝・淮陰侯列伝』東方文化学院 1939
- 『孝経 附・古文孝経』玄宗皇帝注 纂標 松雲堂書店 1940
- 『纂標唐宋八家文読本鈔』編 東京開成館 1941
- 『史記会注考証』史記会注考証校補刊行会 1956
- 『大學中庸章句 纂標』松雲堂書店
- 『訓注・史記會注考證』考證 石川梅次郎,原田種成訓注 松雲書院 1977
関連項目
- 水沢利忠『史記会注考証校補』巻九所載「瀧川氏系図」および「瀧川龜太郎博士年譜」(183-197頁. 史記会注考証校補刊行会 昭和45年)
- 武家屋敷 (塩見縄手) - 松江市の塩見縄手にある博物館。瀧川資言の旧邸。
- 桐嶽寺 - 松江市奥谷町にある曹洞宗の寺。瀧川資言の墓がある。テンプレート:Japanese-history-stub