柴田徳次郎
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柴田 徳次郎(しばた とくじろう、1890年12月20日 - 1973年1月26日)は、日本の右翼活動家・教育者。国士舘創立者。正四位 勲二等 瑞宝章。経済学博士。
来歴・人物
福岡県那珂郡別所村(現:筑紫郡那珂川町別所)出身。16歳で上京し、正則英語学校・芝中学校を経て1915年に早稲田大学専門部政経科を卒業。在学中に頭山満・緒方竹虎・中野正剛の知遇を得、翌年青年大民団を組織。1917年11月4日大民団の私塾として国士舘を創設する。
戦後、公職追放を受けるも解除の後1958年に国士舘大学を創設し学長に就任。右翼思想の色濃い教育方針を学内で徹底する一方で、夜間部を開設し勤労学生を早くから受け入れるなど勤労者への教育の門戸を広げた一面も有している。
墓所は、国士舘大学世田谷キャンパス内にある[2]。
著書
- 革命は如何にして起こるか
- 国士舘と教育
- 頭山翁清話(編)
- 日本はこうすれば立直る
作詞
- 国士舘舘歌
- 国士舘学徒吟
要職等
- 国士舘 総長
- 学校法人国士舘 理事長
- 国士舘大学・国士舘短期大学学長
出典・脚注
関連項目
外部リンク
- 柴田徳二郎伝 - 全12章の評伝のうち、冒頭の関連資料などから1章までと、以降の各章の扉、あとがきが読める。