持明院流(ぢみょういんりゅう)は世尊寺流17代世尊寺行季が享禄2年(1529年)に没し、世尊寺家および、世尊寺流が全く滅亡することになった。それをうけ、後奈良天皇が、世尊寺流の滅亡を惜しまれたが故、持明院基春に、その業を独立継承発展させた書流。
持明院家は、世尊寺流の筆頭門人格であったためと思われる。