山口 弘穀(やまぐち ひろたか、1810年(文化7年)- 1850年1月2日(嘉永2年11月19日))は、常陸牛久藩の第10代藩主。第8代藩主・山口弘致の三男。官位は従五位下、周防守。
天保10年(1839年)8月16日、兄の弘封が隠居したため、その跡を継いだ。兄と同じく藩政改革に取り組み、農馬貸付仕法制度や育子備金仕法制度を設置して農村制度の再建を目指し、ある程度の成果を得た。嘉永2年(1849年)11月19日に40歳で死去し、弟の弘敞が跡を継いだ。法号は仁道宗義弘毅院。
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