宮田登
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宮田 登(みやた のぼる、1936年10月14日 - 2000年2月10日)は民俗学者。元日本民俗学会会長。国文学者の藤沢袈裟夫は実父[1]。
来歴・人物
神奈川県横浜市生まれ。1960年東京教育大学文学部卒業。同大学院文学研究科博士課程単位取得退学。東京教育大学助手、東京学芸大学助教授、筑波大学助教授、同教授を経て、退官後、神奈川大学教授。国立歴史民俗博物館客員教授などもつとめた。文学博士。
筑波大学助教授時代、大塚英志に対し、口頭試問で「君の発想はジャーナリスティックすぎて学問には向かない」と述べて、大学院への進学を断念させた。
「ミロク信仰」「生き神信仰」や天皇制に関する研究などを行った。また、「都市民俗学」の提唱者の一人でもあった。網野善彦や佐々木宏幹との親交が深く、共著も多い。多くの啓蒙書も記した。
推理小説の愛好家であったことが知られており、論述するときのアイデアは、民俗学の論文からより、多くのことを得ていた、と広言していた[2]。
また、ドキュメンタリー監督の野田真吉らと親交し、ともに「日本映像民俗学の会」を創設している。
著書(単著)
- 『生き神信仰』 塙書房〈塙選書〉、1970年
- 『ミロク信仰の研究 日本における伝統的メシア観』 未來社、1970年
- 『近世の流行神』 評論社、1972年 (のち『江戸のはやり神』と改題)
- 『原初的思考 白のフォークロア』 大和書房、1974年
- 『民俗宗教論の課題』 未來社、1977年
- 『叢書身体の思想6 土の思想』 創文社、1977年
- 『日本の民俗学』 講談社〈講談社学術文庫〉、1978年
- 『神の民俗誌』 岩波書店〈岩波新書〉、1979年
- 『新しい世界への祈り弥勒 日本人の信仰』 佼成出版社、1980年
- 『江戸歳時記 都市民俗誌の試み』 吉川弘文館、1981年
- 『都市民俗論の課題』 未來社、1982年
- 『女の霊力と家の神 日本の民俗宗教』 人文書院、1983年
- 『妖怪の民俗学 日本の見えない空間』 岩波書店、1985年
- 『現代民俗論の課題』 未來社、1986年
- 『ヒメの民俗学』 青土社、1987年
- 『終末観の民俗学』 弘文堂、1987年
- 『霊魂の民俗学』 日本エディタースクール出版部、1988年
- 『江戸の小さな神々』 青土社、1989年
- 『民俗学』 放送大学教育振興会、1990年
- 『怖さはどこからくるのか』 筑摩書房、1991年
- 『日和見 日本王権論の試み』 平凡社〈平凡社選書〉、1992年
- 『「心なおし」はなぜ流行る 不安と幻想の民俗誌』 小学館、1993年
- 『山と里の信仰史』 吉川弘文館、1993年
- 『民俗文化史』 放送大学教育振興会、1995年
- 『ケガレの民俗誌 差別の文化的要因』 人文書院、1996年
- 『老人と子供の民俗学』 白水社、1996年
- 『民俗学への招待』 筑摩書房〈ちくま新書〉、1996年
- 『民俗神道論 民間信仰のダイナミズム』 春秋社、1996年
- 『歴史と民俗のあいだ 海と都市の視点から』 吉川弘文館〈歴史文化ライブラリー〉、1996年
- 『正月とハレの日の民俗学』 大和書房、1997年
- 『日本の50年日本の200年 日本人と宗教』 岩波書店、1999年
- 『冠婚葬祭』 岩波書店〈岩波新書〉、1999年
- 『都市とフォークロア』 御茶の水書房、1999年
- 『都市空間の怪異』 角川書店〈角川選書〉、2001年
- 『宮田登日本を語る』 吉川弘文館、2006-2007年
- (1)民俗学への道
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- (6)カミとホトケのあいだ
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