吉野神宮

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吉野神宮(よしのじんぐう)は、奈良県吉野郡吉野町に鎮座する後醍醐天皇を祭神とする神社建武中興十五社の一社で、旧社格は官幣大社である。旧社名 吉野宮

歴史

南朝後村上天皇は、父の後醍醐天皇が延元4年(1339年)に崩御した後、その像を吉水院に安置した。以降、仏教式の供養が行われていたが、明治時代に入って神仏分離により明治6年(1873年)に吉水院を後醍醐天皇社という神社に改めた。2年後に吉水神社と改称して後醍醐天皇を祭神とする神社となった。このとき太政官政府は官費(国費)で別の神社を創建する考えを表明したが、そのまま棚上げになって時が経った[1]

明治22年(1889年)6月22日に、後醍醐天皇を祀る官幣中社吉野宮の創建が、明治天皇の意向で決定した。明治25年(1892年)に社殿が竣工して、吉水神社から後醍醐天皇像を移して遷座祭が斎行された。明治34年(1901年)に官幣大社に昇格し、大正7年(1918年)に吉野神宮に改称した[2]

  • 1889年(明治22年)6月22日 - 明治天皇が神社の創立を命じた。
  • 1892年(明治25年) - 吉野宮の社殿造営、鎮座祭。
  • 1901年(明治34年)8月8日 - 官幣大社に列し、吉野神宮に改称。
  • 1923年(大正12年)境内拡張
  • 1927年(昭和2年)現本殿上棟、祝詞舎完成。
  • 1928年(昭和3年)現拝殿竣工
  • 1929年(昭和4年)神門竣工
  • 1930年(昭和5年)大鳥居竣工
  • 1998年(平成10年)現斎館完成

年中行事

境内

本殿・拝殿・神門はかつて後醍醐天皇が京都の御所へ帰還される事を熱望されていた心情を汲んで、京都の方角を向き、北向きに建てられている。総造。近代神社建築の代表とされる。2010年、本殿、祝詞舎及び楽舎、裏門及び透塀、神庫、拝殿、廻廊、内玉垣、神門、神符授与所、宿衛舎、東門、外玉垣、神饌所、表手水舎、裏手水舎、井戸屋形、修祓所、参集殿、制札屋形、大鳥居、表鳥居、裏鳥居の22件が国の登録有形文化財に登録された。

境内は、の名所。金剛山葛城山が遠望できる。

摂社三本殿

御影・船岡・滝桜の3社が並ぶ。祭神は南朝方で活躍した、日野資朝日野俊基児島範長児島高徳桜山茲俊土居通益得能通綱。これら摂社の本殿・拝殿4棟も2010年に登録有形文化財に登録された。

アクセス

脚注

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参考文献

  • 岡田米夫「神宮・神社創建史」、松山能夫・編『明治維新神道百年史』第2巻、神道文化会、1966年。

外部リンク

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  1. 岡田米夫「神宮・神社創建史」40-42頁。
  2. 岡田米夫「神宮・神社創建史」43頁。