古川禎久
テンプレート:日本の国会議員 古川 禎久(ふるかわ よしひさ、1965年8月3日 ‐ )は、日本の政治家。自由民主党所属の衆議院議員(4期)。
来歴・人物
宮崎県串間市生まれ。ラサール高等学校、東京大学法学部卒業。1989年、東大を卒業し建設省に入省したが、1992年に退官。
議員秘書を経て、1996年の第41回衆議院議員総選挙には新進党公認、2000年の第42回衆議院議員総選挙には無所属で宮崎3区から出馬したが、自由民主党の持永和見に敗れ落選した。2003年の第43回衆議院議員総選挙に再び無所属で宮崎3区から出馬し、和見の息子で無所属の持永哲志を破り初当選する。当選後、追加公認を受けて自民党に入党し、橋本派(当時)に入会した。
2005年7月、衆議院本会議で郵政民営化法案に反対票を投じた。そのため第44回衆議院議員総選挙では自民党の公認を得られず、無所属で出馬する。宮崎3区で自民党公認の持永哲志、民主党の外山斎を破り、再選。当選後、再提出された郵政民営化法案には一転、賛成票を投じた。2006年、自民党に復党届及び誓約書を提出。12月の党紀委員会で復党が認められ、自民党に復党した(郵政造反組復党問題)。
2007年8月、山崎派に入会。安倍改造内閣で法務大臣政務官に任命される。翌2008年8月には、福田康夫改造内閣で環境大臣政務官に就任する。
2009年の第45回衆議院議員総選挙では宮崎3区から自民党公認で出馬し、3選。2010年、山崎派を退会し議員グループのぞみに参加。
2012年の第46回衆議院議員総選挙では宮崎3区から自民党公認で出馬し、4選。自民党の副幹事長を務めていたが、第2次安倍内閣組閣時にその役職を外れた。その後は広報本部広報戦略局長、国会対策委員会副委員長。
政策・主張
- 2007年6月14日にワシントン・ポストへ掲載されたアメリカ合衆国下院121号決議の全面撤回を求める歴史事実委員会名義での意見広告(「THE FACTS」)の賛同者に名を連ねており[1]、第二次世界大戦中の慰安婦の強制連行については否定する立場である。
- 外国人参政権と人権擁護法案に反対しており、自民党の中でも保守色の強い議員の1人。
- 首相の靖国神社参拝を支持している。
- 日本のTPP参加には反対の立場を取る[2]。
- 日本の核武装については、今後の国際情勢によっては検討すべきとしている[2]。
エピソード
- 政治家の年金未納問題が注目された際に年金の未納が発覚している[3]。
- 2007年6月26日、加藤紘一の新著「強いリベラル」の出版記念会見に後藤田正純と共に出席し、加藤を「本当の保守政治家だ」と称賛したテンプレート:要出典。
- 鳩山邦夫に近く、鳩山が主催する勉強会などの会合に定期的に参加していたが、鳩山が離党する際に他の側近と同様にこの動きに同調せず自民党に留まった。
所属団体・議員連盟
- 創生「日本」(副幹事長)
- 天皇陛下御即位二十年奉祝国会議員連盟(事務局次長)
- 真の人権擁護を考える懇談会
- 平和を願い真の国益を考え靖国神社参拝を支持する若手国会議員の会
- 価値観外交を推進する議員の会
- 日華議員懇談会
- のぞみ
- 日本会議国会議員懇談会
- 神道政治連盟国会議員懇談会
- 教育基本法改正促進委員会
- 日本の水源林を守る議員勉強会
- 正しい日本を創る会
関連項目
脚注
外部リンク
- 衆議院議員 古川禎久(公式サイト)
|-style="text-align:center"
|style="width:30%"|先代:
小渕優子
山口俊一
|style="width:40%; text-align:center"|テンプレート:Flagicon 財務副大臣
愛知治郎と共同
2013年 -
|style="width:30%"|次代:
現職
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