全ギリシャ社会主義運動

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テンプレート:政党 全ギリシャ社会主義運動(ぜんギリシャしゃかいしゅぎうんどう、テンプレート:Lang-el、ラテン文字転写:Panellinio Sosialistiko Kinima、略称:ΠΑΣΟΚPASOKテンプレート:Lang-en)は、ギリシャ中道左派社会民主主義政党社会主義インターナショナル加盟。ギリシャの二大政党の1つである。

歴史

ギリシャの軍事政権の崩壊および民主政治の回復により、1974年9月に設立された。創立者は、アンドレアス・パパンドレウ(元首相ゲオルギオス・パパンドレウの息子)。当時の政治目標は「全国独立、主権在民主義、社会解放、民主プロセス」の4つを掲げていた。パパンドレウはマルクス経済学の学者であり、当初のPASOKは左翼ナショナリズムかつ急進的な社会主義の色彩が強く、当時ユーロコミュニズムの旗手であったイタリア共産党を右寄りと批判するほどの急進的左翼政党だった。

1974年11月の選挙では、コンスタンディノス・カラマンリス率いる保守政党、新民主主義党(ND)が第1党となり、PASOKは投票率13.5%で、15の議席を得るに留まった。1977年11月の選挙では、前回選挙の2倍の得票を得て、92の議席を獲得した。

1981年10月の選挙でPASOKは得票率48%、173議席を獲得、ギリシャ初の左派政権を樹立した。パパンドレウはNATOギリシャが参加を続けるか脱退するか、EEC(後のEU)へ加盟するかの問題で、NATO・EECへの脱退・不参加を訴えて選挙キャンペーンを行なったが、政権獲得後すぐに考えを変更し、EECへのギリシャ加盟のための再交渉を始めた。

1985年には、PASOK政権が、大統領が持つ権限をほとんど無くし、首相および内閣により権限を与えるよう憲法を改正するなど、徹底的な社会改革が実行された。1985年6月の選挙でPASOKの得票率は45%で161の議席を維持した。1989年6月の選挙ではPASOKの得票率は40%まで落ちた。この選挙結果の影響で政府は行き詰まり、事態を打開すべく11月に行われた別の選挙は同じ結果を生んだ。政治危機が続いた後、1990年4月の3度目の選挙によりNDへ政権は移行した。この頃、冷戦が終結したこともあって社会主義インターナショナルにようやく参加している。欧州の主要な社会民主主義政党では、もっとも遅い方の加盟であった。

パパンドレウが、クレタ・スキャンダル事件で銀行へ関与した疑いで起訴された時、PASOKは内部対立を起こし危機に陥った。パパンドレウは最終的に無罪が確定した。また、1993年10月の選挙でパパンドレウは、勢力を回復するためにマケドニア共和国キプロスの問題に対して愛国心に訴える主張を行い成功した。1995年には、パパンドレウの健康が悪化を始めた。PASOKはリーダシップを発揮できる者がいない危機的状況に陥った。

1996年1月、パパンドレウは健康問題により引退を余儀なくされた。コンスタンディノス・シミティス(PASOKの近代化を訴える西欧統一主義派の候補)がPASOKの次の党首となった。パパンドレウは6月に死去した。

1996年9月の選挙で、シミティスは、ギリシャユーロ圏に入ることを主張した(パパンドレウ時代優勢だったPASOK内の民族主義的勢力は減退した)。1997年9月にはギリシャでの2004年アテネオリンピック大会開催を決める事に成功した。2004年1月、シミティスは党首辞任を発表。

2004年2月8日に党首選挙が行なわれ、アンドレアス・パパンドレウの息子ゲオルギオス・アンドレアス・パパンドレウ(祖父と同名[1])が就任した。しかし、2004年3月7日の総選挙によってPASOKは政権を失い、再び野党となった。2007年の総選挙では、与党NDの支持率が下っていたものの、PASOKも支持率を落とし、議席数をさらに減らしてしまった。

2009年10月に行われた総選挙では得票率を伸ばして、過半数を超える160議席を獲得。5年ぶりに政権を奪回した。経済危機のなか2011年にパパンドレウは首相を辞任し、翌2012年には党首も辞任。エバンゲロス・ヴェニゼロスが党首に就任した。与野党合意によって行われた2012年5月の総選挙では緊縮財政政策に対する国民からの反発を受けて支持を大幅に減らし、得票は前回選挙の44%から13%に激減、41議席の獲得に留まって第3党に転落、結党以来最低の結果となった[2]。総選挙後の政権交渉が失敗に終わった結果、6月に行われた総選挙では数議席減となった。6月20日、選挙で第1党となったNDと連立政権を発足させることで合意が成立したが、PASOK自体は閣外協力を選択した[3]

  1. 古代以来ギリシャ人には長男に祖父の名前をつけるという慣習がある。
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外部リンク

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