ユスティヌス2世
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ユスティヌス2世(Justinus II, 520年 - 578年10月5日)は、東ローマ帝国ユスティニアヌス朝の第3代皇帝(在位565年-578年)。
565年、伯父の皇帝ユスティニアヌス1世(大帝)が嗣子無くして死去したため、後を継ぐこととなった。ユスティニアヌス1世の時代、東ローマ帝国は東ゴート王国を滅ぼすなどして、かつてのローマ帝国に匹敵するほどの領土を回復したが、一方では遠征のために財政が破綻しており、ユスティヌス2世にとって拡大しすぎた領土の維持は大きな重荷になってしまった。
はたしてユスティニアヌス1世の死後、西ゴート族が帝国領であったイベリア半島に、ランゴバルド族がイタリアに侵攻。東方のサーサーン朝ペルシア帝国に対して強硬な態度で臨んだユスティヌス2世は、比較的小規模な侵攻に過ぎなかった西方は放置して、572年にサーサーン朝と強引に開戦したが、ホスロー1世が健在であったため軍務経験もほとんどないユスティヌス2世は敗れてしまい、ユスティニアヌス1世の時代に培われた東ローマ帝国の威信を大きく傷つけることとなった。この敗戦で精神に異常をきたしたユスティヌスは、実権を幼い時からの知り合いである将軍ティベリウスに譲って事実上引退した。