ミッドウェー島
ミッドウェー島(ミッドウェーとう、Midway Atoll)は、北太平洋のハワイ諸島北西にある島(環礁)。位置は[[[:テンプレート:座標URL]]28_13__N_177_22__W_ 北緯28度13分 西経177度22分]。ミッドウェイ島、ミッドウェー諸島とも言う。面積は6.2km2。アメリカ領太平洋諸島に属する。
環礁であり、環状の礁およびいくつかの島(大きいものはサンド島、イースタン島の2つ)から構成される。
地理
ミッドウェー島は、ハワイ-天皇海山列に属する元火山島である。それが沈降し、珊瑚礁が発達したものである。約2,800万年前にハワイのホットスポットで形成された火山島が沈降しつつ、プレートとともに現在位置に移動した。
主な島はサンド島とイースタン島であり、環礁の南部・東側にイースタン島、南部西側にサンド島がある。両島とも低平であり、丘陵などはない。
歴史
ミッドウェー島は、1859年7月5日にCaptain N.C. Middlebrooks(Captain Brooksとして知られる)によって発見された。当初、環礁は「Middlebrook Islands」と命名された。1867年8月28日に Captain William Reynolds が米軍艦 USS Lackawanna で訪れ、アメリカ合衆国による領有を宣言し、ミッドウェー(Midway)島と命名した。
居住の最初の試みは1871年に行われた。 Pacific Mail and Steamship Company がアメリカ議会からの仕事として、水道を発破・浚渫し、ラグーン内への航路を作る計画を始めた。この目的は、ハワイの高額な出費を伴う港湾の使用を避けるために、給炭所を作ることにあった。この計画は失敗に終わり、人員は1871年10月には撤退した。
1903年には、Commercial Pacific Cable Company が太平洋横断の電信ケーブル敷設のために上陸した。後にアメリカ海軍の管理下におかれ、21人の海兵隊員が駐留した。1935年に、パンアメリカン航空の飛行艇がアメリカ-中国航路を開設すると、その中継地となった。
ミッドウェー島の位置は、軍事的に重要な位置にあり、太平洋を横断する航空機の給油地となった。1940年の初め頃より、ハワイ防衛の拠点として、軍事基地化が進んだ。第二次世界大戦中の1942年6月4日には、この環礁を巡り、近海で日本海軍とアメリカ軍との海戦が行われアメリカ軍が勝利した(ミッドウェー海戦)。日本は海戦に勝利した場合、ミッドウェー島を『水無月島』と改名し領土化することを予定し、直ちに占領体制を敷けるよう郵便局長など多数の文官を艦隊に帯同させたが、敗退によってその試みは潰えた。
冷戦期もアメリカ海軍の基地が置かれていたが、冷戦終結後、島は自然保護区(ミッドウェー環礁国立自然保護区)となることが決定され、軍事基地は1996年に閉鎖された。その後はエコツーリズムの場として観光客の受け入れが行われていたが2002年に中止された。
2010年現在は、アメリカ内務省魚類野生生物局の管理下、担当官が数十名駐在するのみの島になっている。 一般人には無縁の島となったが、その地理的環境から、稀に太平洋を横断する航空機が緊急着陸することがあるほか、島内にミッドウェー海戦の慰霊碑がある関係から、日本の自衛隊の艦船が立ち寄ることがある。
自然
ミッドウェー諸島には数々の海鳥が生息する。なお、クロアシアホウドリの世界最大の繁殖地であり、旗になっているコアホウドリも非常に多い。特に、カモメ科の海鳥ではセグロアジサシ、クロアジサシ、ナンヨウマミジロアジサシ等のアジサシ類が多数生息している。その他、レイサンガモやレイサンヨシキリ等の固有種も数々存在するが、外来種の侵入や狩猟によって、その多くが絶滅したり、または絶滅危惧種になっている。2011年、2012年、2014年にはイースタン島でアホウドリの繁殖が確認されている[1][2]。
ミッドウェー島が登場する創作物
- 「エースコンバット5 ジ・アンサング・ウォー」 - ミッドウェー島自体は登場しないが、作中に登場する「サンド島」はミッドウェー島がモデルである。
- 「エースコンバットX2 ジョイントアサルト」 - 上作品とは異なりこちらは実際のミッドウェー島が登場する。