ピアノ協奏曲第1番 (チャイコフスキー)
テンプレート:Portal クラシック音楽 ピアノ協奏曲第1番変ロ短調作品23はピョートル・チャイコフスキーが、友人のモスクワ音楽院院長のニコライ・ルビンシテインに刺激を受け、初めて作曲したピアノ協奏曲である。
作曲の経緯と初演と改訂
チャイコフスキーは当初ニコライ・ルビンシテインを初演者と目し、彼に献呈しようと考え、1874年のクリスマスにこの作品の草稿の段階でルビンシテインともう2人の楽友に聞かせたところ、ルビンシテインから思いがけずに「この作品は陳腐で不細工であり、役に立たない代物であり、貧弱な作品で演奏不可能であるので、私の意見に従って根本的に書き直すのが望ましい」と激しく非難されてしまった。チャイコフスキーは友人であるルビンシテインの言葉に従わず、この非難の後、セルゲイ・タネーエフへの献呈を目して作曲を進め、オーケストレーションが完成した後で、著名なドイツ人ピアニスト・指揮者のハンス・フォン・ビューローへ献呈した。ビューローは、この作品を「独創的で高貴」と評した。
1875年10月25日ハンス・フォン・ビューローのピアノとベンジャミン・ジョンソン・ラングの指揮によりアメリカのボストンにて初演され、大成功を収めた。この様子はビューローからチャイコフスキーの元に電報で知らされた。後に、ビューローは自分のレパートリーからこの協奏曲をはずした。
ロシア初演は、世界初演の1週間後、サンクトペテルブルクにおいて、ロシア人ピアニストのグスタフ・コスとチェコ人指揮者のエドゥアルド・ナプラヴニークによって行われた。
モスクワ初演はニコライ・ルビンシテインの指揮、セルゲイ・タネーエフのピアノによって行われた。ルビンシテイン自身、その後何度も独奏ピアノを受け持って、この協奏曲を世に知らしめる役割を果たした。
1879年の夏および1888年の12月に2度にわたって改訂されている。第1楽章冒頭のピアノによる分厚い和音はこのとき加えられたものである(初版ではアルペッジョである)。
楽器編成
フルート2、オーボエ2、B♭管クラリネット2、ファゴット2、F管ホルン4、F管トランペット2、トロンボーン3(テナー2、バス1)、ティンパニ、独奏ピアノ、弦五部
演奏時間
約35分
曲の構成
- 第1楽章 Allegro non troppo e molto maestoso - Allegro con spirito、変ロ短調→変ロ長調
- 雄大な序奏と変則的なソナタ形式の主部からなる。非常によく知られた序奏はシンフォニックで壮麗であるが、特徴のあるこの序奏の主題は、この協奏曲の残りの部分では二度と再現されない。
- 第2楽章 Andantino semplice - Prestissimo - Quasi Andante、変ニ長調→ヘ長調→変ニ長調
- 地味なロシア風アンダンテと中間のソロのヴィルトゥオーソ。
- 第3楽章 Allegro con fuoco、変ロ短調→変ロ長調
- 第1楽章の序奏主題のテンポが第3楽章のコーダ直前の第2主題の再現と(ほぼ)一致するため、演奏家及び聴衆は未曾有の達成感が得られる。
人気曲となった経緯
第二次世界大戦後のアメリカ合衆国ではこの作品の演奏頻度が急増したと伝えられるが、その要因としてはトスカニーニとホロヴィッツが共演した名盤や、第1回チャイコフスキー国際コンクールで優勝したヴァン・クライバーンの存在が挙げられる。クライバーンの優勝は、当時冷戦で対立していたソ連でのアメリカ人の快挙として、凱旋した際にはクラシックの音楽家としては空前の大フィーバーが起こった。クライバーンの『ピアノ協奏曲第1番』は、ビルボードのポップアルバムチャートで1位(7週連続)を獲得した唯一のクラシック作品である(2007年現在)という事実からも当時の人気ぶりが伺える。また、同曲はキャッシュボックスのポップアルバムチャートでも最高2位を記録した。
外部リンク
- Magazzini Sonori(イタリア語)より第1楽章, 第2楽章 ,第3楽章。この演奏の場合、第1楽章の序奏は4分24秒ごろまでで、そこから主部となる。
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