パッターニー県

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索

テンプレート:基礎情報 行政区画

パッターニー県(パッターニーけん、テンプレート:Lang-thジャウィ文字: ڤتتاني )は、タイ王国南部深南部)の県(チャンワット)の一つである。ナラーティワート県ヤラー県ソンクラー県と接する。

地理

パッターニーはマレー半島タイランド湾側に位置する。

歴史

マレー半島北部・タイ南部には古くはヒンドゥー教を国教とするテンプレート:仮リンク(2世紀 - 14世紀)が栄えていた。

13世紀、ランカスカ王国がシュリーヴィジャヤ王国の属国となり、スマトラ島パレンバンへ遷都した際に、パッタニーに独立王朝のパタニ王国14世紀/1516年 - 1902年)が成立した。1516年にはポルトガル人の探検家テンプレート:仮リンクがパタニを訪れたことから、西洋史では1516年に発見されたことになっている。

パタニ王国は、スコータイ王朝アユタヤー王朝チャックリー王朝と朝貢関係にあったが、1770年頃、ソンクラーを拠点にシャム軍が侵略して属国とした。テンプレート:仮リンクのチャックリー改革により半独立状態になっていたパタニ王国は廃止され、大英帝国との協定によってパッターニーはマレー人が多く住みながらも、タイの一部となった。

パタニ王国廃止直後から独立運動が盛んになり、2004年には多くの死者を出す武力衝突も起こっている。

民族

タイ族よりもマレー人が主に住み華人なども多い。また、パッターニーの住民の80%はムスリムである。

県章

県章にデザインされている大砲はパタニ王国の官吏・林道乾によって制作されたパヤー・ターニー(マレー語ではスリ・パタニ)である。以前パッターニーに設置されていたものであるが、1785年タイ仏暦2328年)、バンコクに移された。現在防衛省本部の庁舎前に飾ってある。(大砲の詳細はラージャ・ビルを参照のこと。

県花はハイビスカステンプレート:Snamei)、県木は テンプレート:Snamei

行政区分

パッターニー県は12の郡(アンプー)があり、その下に115の町(タンボン)と、642の村(ムーバーン)がある。

ファイル:Amphoe Pattani.svg
パッターニー県の郡
  1. ムアンパッターニー郡テンプレート:Lang-thジャウィ文字: ڤتتاني
  2. テンプレート:仮リンクテンプレート:Lang-th
  3. テンプレート:仮リンクテンプレート:Lang-th
  4. テンプレート:仮リンクテンプレート:Lang-th
  5. テンプレート:仮リンクテンプレート:Lang-th
  6. テンプレート:仮リンクテンプレート:Lang-th
  7. テンプレート:仮リンクテンプレート:Lang-thジャウィ文字: تلوبن Teluban / سليندوڠ بايو Selindung Bayu)
  8. テンプレート:仮リンクテンプレート:Lang-th
  9. テンプレート:仮リンクテンプレート:Lang-th Yaringジャウィ文字: جاريڠ Jaring
  10. テンプレート:仮リンクテンプレート:Lang-th
  11. テンプレート:仮リンクテンプレート:Lang-th
  12. テンプレート:仮リンクテンプレート:Lang-th

外部リンク

テンプレート:Sister

テンプレート:Navbox