バトルアクス作戦
colspan="2" テンプレート:WPMILHIST Infobox style | バトルアクス作戦 | |
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colspan="2" テンプレート:WPMILHIST Infobox style | 300px 側面にヘル・ファイヤー峠と書かれた第4インド師団のトラック | |
戦争:北アフリカ戦線 | |
年月日:1941年6月15日~17日 | |
場所: | |
結果:ドイツ軍の勝利。 | |
交戦勢力 | |
width="50%" style="border-right: テンプレート:WPMILHIST Infobox style" | テンプレート:Flagicon ドイツ国 | テンプレート:UK |
colspan="2" テンプレート:WPMILHIST Infobox style | 指揮官 | |
width="50%" style="border-right: テンプレート:WPMILHIST Infobox style" | エルヴィン・ロンメル | アーチボルド・ウェーヴェル |
colspan="2" テンプレート:WPMILHIST Infobox style | 戦力 | |
width="50%" style="border-right: テンプレート:WPMILHIST Infobox style" | 13,200 戦車196輌 戦闘機130機 爆撃機84機 |
20,000~ 戦車190輌 戦闘機98機 爆撃機105機 |
colspan="2" テンプレート:WPMILHIST Infobox style | 損害 | |
width="50%" style="border-right: テンプレート:WPMILHIST Infobox style" | 1270 戦車12輌 航空機10機 |
969 戦車91輌 航空機36機 |
テンプレート:Tnavbar |
バトルアクス作戦(バトルアクスさくせん、テンプレート:Lang-en-short)は、第二次世界大戦中の1941年6月15日から17日にかけて行われた、イギリス軍の作戦。北アフリカ戦線において、枢軸国軍に包囲されたトブルクを解囲するために行われた攻勢。ドイツ軍の反撃により、作戦は失敗した。
概要
イタリア領リビアにあるトブルクは、イギリス軍が占領し、イギリスの要塞となっていた[1][2]。エルヴィン・ロンメルの指揮する枢軸軍は、1941年4月からトブルクを包囲していた[2]。イギリス軍は1941年5月にブレヴィティ作戦を実施し、トブルクの解囲を目指したものの、ドイツ軍に撃退されていた[3]。
イギリス第13軍団[nb 1](第4インド師団・第7機甲師団)はブレヴィティ作戦後にマチルダII歩兵戦車135輌など戦車を合計238輌受領し[5]、これもって解囲作戦を再興することとした[6]。作戦は6月15日より開始された[6]。第4インド師団隷下の2個旅団[nb 2]が海岸沿いのハルファヤ峠を攻撃し、第7機甲師団隷下の3個旅団[nb 3]が内陸側からカプッツォ砦を攻撃した[9]。
ハルファヤ峠においては、ドイツ軍の守備隊が88mm高射砲で応戦し、イギリス軍戦車に大打撃を与えたために陥落しなかった[10]。また、第7機甲師団はある程度、前進に成功したものの、ドイツ軍第15装甲師団の反撃により進撃が停止した[10][11]。その後、ドイツ軍第5軽師団が迂回包囲のための進撃を開始すると、包囲されることを恐れたイギリス軍は撤退し、作戦は終了した[11]。
この後のトブルク解囲作戦は、1941年11月のクルセーダー作戦まで行われなかった[12]。
脚注
注釈
出典
参考文献
- 山崎雅弘 『ロンメル戦記』 学研M文庫、2009年。ISBN 978-4059012481
- 『北アフリカ戦線 1940-1943』 学研パブリッシング〈歴史群像アーカイブVol.11〉、2009年。ISBN 978-4-05-605789-8
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