デンソー・エアリービーズ

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テンプレート:半保護 テンプレート:バレーボールチーム デンソー・エアリービーズは、愛知県西尾市を本拠地とするデンソーの女子バレーボールチームである。現在V・プレミアリーグ所属。

概要

1953年に日本電装(現・デンソー)社内の同好会としてスタート[1]。1972年に「日本電装女子バレーボール部」として正式に創部され、愛知県西尾市の西尾製作所を拠点として活動する[2]

チーム名の『エアリービーズ』とは、「快活なミツバチたち」という意味で、コート上で選手達が躍動し、蜂のように速く鋭い攻撃で日本バレー界の女王を目指して名付けられ、チームキャラクターとしても描かれている[3]。ちなみに、同じく愛知県を本拠地とするトヨタグループのバレーボールチームである男子のジェイテクトSTINGSも蜂になぞらえたチーム名を採用している。

練習場はチーム所在地でもある西尾製作所内体育館であり[3]、ホームゲームは西尾市総合体育館や愛知県内の岡崎中央総合公園総合体育館などで開催されている。同じく愛知県を本拠地とするトヨタグループのバレーボールチームであるトヨタ車体クインシーズと同日同会場でホームゲームを開催することもある。

近年は公式Facebookアカウントを設立して、2013年11月にサポータークラブが発足されるなど、一般ファン向けコンテンツにも力を注いでいる。また、地元の中学生を対象とするバレーボール大会「デンソーエアリービーズ杯」を開催し、地域のスポーツ振興にも貢献している[2]

歴史

1953年にテンプレート:要出典範囲の同好会として創設。1972年、6人制に移行と同時に「日本電装女子バレーボール部」として活動を始める。

1981年に創設された第1回地域リーグに出場し、第1回は西部リーグ最下位(6位)になるも、第2回は決勝リーグに進出し3位。1983年の第3回も3位に入り、実業団リーグ(チャレンジリーグ 旧・V1リーグ)に繰り上げ昇格した。

1983年に半田国治が監督が就任。1983/84シーズンの第15回実業団リーグで6位、第16回大会で4位と着実に成績を上げる。1985/86シーズン、3年目となる第17回実業団リーグで14戦全勝優勝を果たし、日本リーグ(現・Vプレミアリーグに昇格した。

日本リーグ初出場となった1986/87シーズンの第20回大会で、ソウルオリンピック代表の滝澤玲子の好トスが操る速攻で6位に入った[1]。第21回大会も6位。しかし、第22回リーグでは7位となり、入替戦でも敗れて実業団リーグに降格した。その後、実業団リーグ中位にしばらく甘んじるが、1993/94シーズンの第25回実業団リーグで12勝2敗の成績で2回目の優勝を果たし、第1回Vリーグ(日本リーグより改称)に昇格出場を果たした。第1回Vリーグでは7位となり再び降格するも、翌シーズンの第27回実業団リーグで優勝し、1年でVリーグに復帰した。

3度目の昇格となった1996年、社名変更に伴いチーム名を「デンソー・エアリービーズ」へ改称した。

同年、全日本女子監督とユニチカ・フェニックス(現・東レ・アローズ)監督を歴任した吉田国昭が監督に就任(半田は副部長、後に部長に就任)。1996/97シーズンの第3回Vリーグでは、レギュラーラウンド3位の好成績を収めた。以後、第4回以降は安定した成績を残した。第7回大会は9位、第8回大会は8位となり、2年連続で入替戦を経験するが、粘りのバレーでVリーグ残留を決めている[1]。第9回大会は、鳥居千穂藤田理恵らベテランがチームを退き、ケガから復帰した濱野礼奈温水麻子らを中心に戦い、7位となる[1]

2003年に半田部長が監督に復帰。2003/04シーズンの第10回は9位で入替戦出場となったが残留。第11回大会では、リベロ櫻井由香主将を中心に、渡部有香岡野知子横山雅美ら粘りのコンビバレーを展開し、久々の決勝ラウンド進出を果たし自己最高タイの3位に入った[1]。第12回大会は、主力の怪我などで、苦戦が続き9位と入替戦(現チャレンジマッチ)を経験したが残留[1]。定年退職のため半田監督がこのシーズンで退任。

2006年、東レ女子の監督を10年務めた達川実が半田監督の後任として監督に就任。キャプテン岡野知子のリーダーシップと井上香織矢野美子らのセンター線の充実で、2006/07V・プレミアリーグでは7位に順位を上げ[1]、2007/08シーズンは、V・プレミアリーグはレギュラーラウンドを2位で突破、セミファイナルラウンドも2勝1敗で勝ちあがり、準優勝と大躍進を果たした。そして、第57回黒鷲旗全日本選抜大会では初優勝を果たし、チーム初の全国大会タイトルを獲得した。2008/09V・プレミアリーグでは4位。2009/10シーズンは、皇后杯全日本選手権大会で準優勝を果たし、V・プレミアリーグでは3位に入った。2010/11シーズンには、天皇杯・皇后杯全日本バレーボール選手権大会において初優勝を果たし、チーム2度目の全国大会タイトルとなった。V・プレミアリーグでも序盤は好調を維持するが、中盤に入ると急に失速し、6位に低迷した。2011年、ドミニカ共和国のエース、デラクルス・ベタニアが入団。2011/12V・プレミアリーグではレギュラーラウンドで全3レグ中2レグが終了した時点で12勝2敗の首位に立つ。しかし、第3レグ以降は失速し、第2レグまでの貯金が活きて3位でセミファイナルラウンドに進出するが、1勝2敗で決勝進出ならず、3位で終える。2012年にはデラクルスに代わり元セルビア代表イヴァナ・ネーショヴィッチが入団。2012/13V・プレミアリーグでは序盤で4戦連続フルセット勝ちで勝ちを果たすが、それ以降は12連敗を喫するなど低迷。7位となり7シーズンぶりのV・チャレンジマッチ(入替戦)出場となった。そして、4月のV・チャレンジマッチで日立リヴァーレに得点率の差で敗れ、18年ぶりのV・チャレンジリーグ降格となった[4][5]。5月に達川実監督が退任し、辻健志コーチが監督に昇格した[6]

2013年10月、デンソーエアリービーズサポータークラブの発足が発表された[7][8]

2014年3月、Vチャレンジリーグにおいて優勝し、Vチャレンジマッチ(入替戦)に出場。パイオニアに連勝して、プレミア復帰の権利を得[9]、同年5月の理事会でプレミア再昇格が正式決定した[10]。 。

成績

主な成績

プレミアリーグ日本リーグ/Vリーグ
チャレンジリーグ(実業団リーグ/V1リーグ)
黒鷲旗全日本選抜大会
天皇杯・皇后杯全日本バレーボール選手権大会
国民体育大会成年女子(6人制)

年度別成績

大会名 順位 参加チーム数 試合数 勝率
実業団リーグ 第15回 (1983/84) 6位 8チーム 14 6 8 0.429
第16回 (1984/85) 4位 8チーム 14 9 5 0.643
第17回 (1985/86) 優勝 8チーム 14 14 0 1.000
日本リーグ 第20回 (1986/87) 6位 8チーム 21 6 15 0.286
第21回 (1987/88) 6位 8チーム 14 5 9 0.357
第22回 (1988/89) 7位 8チーム 14 3 11 0.214
実業団リーグ 第21回 (1989/90) 3位 8チーム 14 10 4 0.714
第22回 (1990/91) 5位 8チーム 14 5 9 0.357
第23回 (1991/92) 5位 8チーム 14 6 8 0.429
第24回 (1992/93) 5位 8チーム 14 7 7 0.500
第25回 (1993/94) 優勝 8チーム 14 12 2 0.857
Vリーグ 第1回 (1994/95) 7位 8チーム 21 10 11 0.476
実業団リーグ 第27回 (1995/96) 優勝 8チーム 14 13 1 0.929
Vリーグ 第3回 (1996/97) 3位 8チーム 21 11 10 0.524
第4回 (1997/98) 5位 8チーム 21 9 12 0.429
第5回 (1998/99) 4位 10チーム 18 14 4 0.778
第6回 (1999/2000) 6位 10チーム 18 10 8 0.556
第7回 (2000/01) 9位 10チーム 18 4 14 0.222
第8回 (2001/02) 8位 9チーム 16 4 12 0.250
第9回 (2002/03) 7位 8チーム 21 7 14 0.333
第10回 (2003/04) 9位 10チーム 18 6 12 0.333
第11回 (2004/05) 3位 10チーム 27 15 12 0.556
第12回 (2005/06) 9位 10チーム 27 5 22 0.185
V・プレミアリーグ 2006/07シーズン 7位 10チーム 27 11 16 0.407
2007/08シーズン 準優勝 10チーム 27 20 7 0.741
2008/09シーズン 4位 10チーム 27 16 11 0.593
2009/10シーズン 3位 8チーム 28 15 13 0.536
2010/11シーズン 6位 8チーム 26 12 14 0.462
2011/12シーズン 3位 8チーム 21 14 7 0.667
2012/13シーズン 7位 8チーム 28 7 21 0.250
V・チャレンジリーグ 2013/14シーズン 優勝 10チーム 18 17 1 0.944

選手・スタッフ

選手

テンプレート:バレーボールのポジション 2014年7月1日版[11][12]

背番号 名前 シャツネーム 国籍 P 備考
3 大竹里歩 OHTAKE テンプレート:Flagicon 日本 MB
4 橋本涼加 HASHIMOTO テンプレート:Flagicon 日本 WS
5 佐野優子 SANO テンプレート:Flagicon 日本 L
6 鈴木裕子 SUZUKI テンプレート:Flagicon 日本 S 主将
7 鍋谷友理枝 NABEYA テンプレート:Flagicon 日本 WS
8 井上香織 INOUE テンプレート:Flagicon 日本 MB
9 堀江彩 HORIE テンプレート:Flagicon 日本 WS
10 山田美花 YAMADA テンプレート:Flagicon 日本 WS 副主将
12 泉岡未来 IZUOKA テンプレート:Flagicon 日本 WS
15 丸元美緒 テンプレート:Flagicon 日本 WS/MB
16 石井里沙 ISHII テンプレート:Flagicon 日本 WS
17 大宮里美 OHMIYA テンプレート:Flagicon 日本 WS
18 栄絵里香 SAKAE テンプレート:Flagicon 日本 S
20 真柴咲紀 MASHIBA テンプレート:Flagicon 日本 L 副主将
24 石坂円 ISHISAKA テンプレート:Flagicon 日本 WS
- 石田瑞穂 テンプレート:Flagicon 日本 WS

スタッフ

2014年5月10日版[11][13][14]

役職 名前 国籍
顧問 都築昇司 テンプレート:Flagicon 日本
部長 永田将人 テンプレート:Flagicon 日本
監督 山口祐之 テンプレート:Flagicon 日本
コーチ 亀山広 テンプレート:Flagicon 日本
コーチ 井村仁美 テンプレート:Flagicon 日本
アナリスト 鈴木健史 テンプレート:Flagicon 日本
トレーナー兼アドバイザー 永田幸雄 テンプレート:Flagicon 日本
フィジカルトレーナー 川本哲也 テンプレート:Flagicon 日本
フロントマネージャー 川井裕史 テンプレート:Flagicon 日本
マネージャー 佐脇由佳梨 テンプレート:Flagicon 日本

在籍していた主な選手

テンプレート:See also テンプレート:Col-begin テンプレート:Col-2

テンプレート:Col-2

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関連項目

脚注

テンプレート:Reflist

外部リンク

テンプレート:デンソー・エアリービーズ テンプレート:Vリーグ女子

テンプレート:日本の女子バレーボールチーム
  1. 1.0 1.1 1.2 1.3 1.4 1.5 1.6 テンプレート:Cite web
  2. 2.0 2.1 テンプレート:Cite web
  3. 3.0 3.1 テンプレート:Cite web
  4. テンプレート:Cite web
  5. テンプレート:Cite web
  6. テンプレート:Cite web
  7. テンプレート:Cite web
  8. テンプレート:Cite web
  9. テンプレート:Cite web
  10. テンプレート:Cite web
  11. 11.0 11.1 テンプレート:Cite web
  12. テンプレート:Cite web
  13. テンプレート:Cite web
  14. テンプレート:Cite web