ダーフィト・シュトラウス

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ダーフィト・フリードリヒ・シュトラウス(David Friedrich Strauß, 1807年1月27日 - 1874年2月8日)は、ドイツ神学者哲学者。一般には青年ヘーゲル派(ヘーゲル左派)の代表的な人物として知られている。汎神論的な見地から、聖書批判を試みた主著『イエスの生涯』は、当時の神学者を震撼させたほか、ヘーゲル学派の分裂や現代の神学のあり方等多方面に影響を与えた。

生涯

シュトゥットガルト近郊に生誕。小さい頃から、神学に親しむ。テュービンゲン大学に進学するも、ここの大学の哲学の教授にひかれることがなかったが、フリードリッヒ・シュライエルマッハーの哲学に親しんだ。1830年には聖職者のアシスタントになり、ついでマウルブロンの中等教育機関でヘブライ語ラテン語歴史の教職の資格を得る。翌年には、シュライエルマッハーヘーゲル哲学を聞くために、ベルリンへ。しかし、シュトラウスの到着と同じ時期にヘーゲルが死去したため、シュライエルマッハーの哲学を聴講することとなる。シュラエルマッハーの姿勢が後の『イエスの生涯』にも反映されることとなる。1832年には補助教師として大学の教壇に立つことができ、哲学教師として成功を収めた。そして27歳にして、センセーションを起こした大著『イエスの生涯』を著す。神学者などの批評の中には、これはいわばユダの裏切りのような、我々にとって一番有害な本だという酷評もあったように、シュトラウスはこの著でキリスト教的な歴史主義を批判し、ヘーゲルの歴史哲学を発展させ、福音書の中における奇跡を否定し、これを「神話」として捉えてその史実性を否定し、またキリストをイエスという個人によってではなく、人類全体によって実現することによって、真のキリスト教のあり方を理解できると説いた。その後、この著に対する批判を応えるためにいくつかの答弁書を出し、神学者たちの不満を一応は抑えた。そして、2年後に『キリスト教の教説』を記した後、20年間神学の論壇からは離れる。生涯において『イエスの生涯』に対する批判のため、大学の教職に就くことはできず、著述家として過ごすに留まった。

晩年は、また神学に関する著作を再開。無神論者とまではならなかったが、進化論に立脚した汎神論的な思想を展開し、当時の青年ヘーゲル派の哲学者にはもちろんの事、実存主義の哲学にも間接的に影響を与えたといえる。また、現在国内においては『イエスの生涯』に対しての批判は、各種ヘーゲル関係の研究書のほか、ドイツの著名な哲学者のなかにはニーチェシュヴァイツァーなどの研究において見ることができる。

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外部リンク

『イエスの生涯』の英訳が読めます。(現在進行中)

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