クリスチャン9世 (デンマーク王)
テンプレート:基礎情報 君主 クリスチャン9世(テンプレート:Lang-da, 1818年4月8日 - 1906年1月29日)は、リュクスボー朝初代のデンマーク国王(在位:1863年11月15日 - 1906年1月29日)。グリュックスブルク家は前王家オレンボー家の遠い支族で、男系の先祖をデンマーク=ノルウェー王クリスチャン3世(在位:1534年 - 1559年)にたどることができる。
生涯
グリュックスブルク公フリードリヒ・ヴィルヘルムの四男として生まれる。母はヘッセン=カッセル方伯カールの娘ルイーゼ・カロリーネ。1831年に幼くして父を亡くした後、フレゼリク6世の王妃で母方の伯母にあたるマリーの後見の下に育った。1842年、母と同じヘッセン=カッセル家出身で又従姉に当たるルイーゼと結婚したが、名家の生まれとはいえ財力がなかったため、デンマーク王室から無料で借りたコペンハーゲン市内の小さな家に一家で暮らした。子女の教育は家庭教師を雇う余裕がなかったため、夫妻が自ら行った。
ルイーゼの母ルイーセ・シャロデはデンマーク王クリスチャン8世の妹であった。またクリスチャン自身も、デンマーク王フレゼリク5世の女系の曾孫の一人であった。そのため、1852年の王位継承法で嗣子のいないデンマーク王フレゼリク7世の継承者に選ばれ、同年のロンドン議定書で国際的にも承認された。そして1863年にフレゼリク7世の死去によって即位した。
即位後すぐに第2次シュレースヴィヒ=ホルシュタイン戦争に巻き込まれ、1864年にプロイセンとオーストリアにシュレースヴィヒ・ホルシュタイン両公国に加えてザクセン=ラウエンブルク公国を割譲した。
家族
ルイーゼ妃との間に3男3女を儲けた。
- クリスチャン・フレゼリク・ヴィルヘルム・カール(デンマーク国王フレゼリク8世)
- アレクサンドラ・カロリーネ・マリー・シャーロッテ・ルイーセ・ユリア(イギリス国王エドワード7世王妃)
- クリスチャン・ヴィルヘルム・フェルディナンド・アドルフ・ゲオルク(ギリシャ国王ゲオルギオス1世)
- マリー・ソフィー・フレデリケ・ダウマー(ロシア皇帝アレクサンドル3世皇后、ロシア語名マリア・フョードロヴナ)
- テューラ・アマーリア・カロリーネ・シャーロッテ・アンネ(元ハノーファー王太子エルンスト・アウグスト2世妃)
- ヴァルデマー
息子たちは国王になり、娘たちはヨーロッパの諸王家に嫁いだため、「ヨーロッパの義父」と呼ばれた。
ロシア皇帝ニコライ2世やイギリス国王ジョージ5世 、ノルウェー国王ホーコン7世、ギリシャ国王コンスタンティノス1世はいずれもクリスチャン9世の孫である。
関連項目
地位の継承 |
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