インドの核実験 (1974年)
テンプレート:Coord インドの核実験は、1974年5月18日に初めて行われている。この核実験はそのコードネームから微笑むブッダ (Smiling Buddha) とも呼ばれている。
概要
1972年9月7日にインドのインディラ・ガンディー首相は、ムンバイ近郊のテンプレート:仮リンク (Trombay) にあるテンプレート:仮リンク (Bhabha Atomic Research Center, BARC) の科学者に核実験の許可を与えた。これは、「平和的核爆発」が目的とされ、コードネームはSmiling Buddha(微笑むブッダ)と命名された。核実験装置の開発責任者は、テンプレート:仮リンク (Raja Ramanna) であり、開発チームは75名ほどの科学者・技術者で構成されていた。
CIRUS原子炉
実験に必要な核物質については、BARCにある原子炉により6kgのプルトニウムが生産されている。なお、プルトニウム生産に用いられたCANDU炉は、カナダによって提供された重水減速型天然ウラン燃料の原子炉であり、そこで使用する重水はアメリカから供給されていた。そのため、名称はCIRUS原子炉 (Canadian-Indian-U.S.) と呼ばれていた。インドは回収された使用済み核燃料を再処理してプルトニウムを入手したのである。
ポロニウム-ベリリウム・システム
核分裂反応を発生させるイニシエイターについては、ポロニウム-ベリリウム・システムが用いられている。これらの装置は、BARCに集められ組み立てられた。実験装置は、直径1.25m、重さ1,400kgの六角形であった。
爆縮レンズ
高性能爆薬による爆縮装置は、アメリカが第二次世界大戦中に開発したものを基に、インドのチャンディーガルにあるテンプレート:仮リンク (Terminal Ballistics Research Laboratory, TBRL) で開発された。
ポカラン試験場
装置は、ラージャスターン州の砂漠にあるポカラン試験場に運ばれ、実験が行われた。地下107mに設置された装置は午前8時5分に起爆した。爆発威力は公式には20ktとされ、少なくとも8ktを上回っていた事は確実である。
影響
核実験は、カナダ国民の抗議を引き起こし、カナダ政府は核関連技術の提供を中止した。なお、インド政府は、これ以降24年間、核実験を行わず、1998年に再び核実験を行なった。