舳倉島
テンプレート:Infobox テンプレート:Mapplot 舳倉島(へぐらじま)は、石川県能登半島の北約50kmの日本海上に浮かぶ島である。輪島市海士町に属する。
概要
周囲約5km、面積0.55km²、標高12.4mの安山岩でできた島。2万年前までは七ツ島とともに能登半島と陸続きであったが、1万6千年前に能登半島から分離した[1]。
北側は崖や岩礁が多いが、南側はなだらかで漁港や砂浜がある。漁業のほとんどは海女によるもので、アワビ、サザエ、ワカメ、テングサなどを採集する。輪島港との間に定期船が毎日1往復運航。以前は夏季(6月-10月)の漁期のみ、対岸の輪島市海士町・鳳至町(ふげしまち)から漁民が移住してくる島だった。近年は定住者も増え、2000年国勢調査によれば164人がこの島に住所を置いている。しかし、少子化が進んで鳳至小学校・上野台中学校の舳倉島分校があるものの、通学する児童がいないため休校中となっている。1970年には保育所が開設されたが少子化により閉所となり、2009年度からは自治会の託児所が保育を担っている[2]。また、島には診療所(市立輪島病院舳倉診療所)がある。診療所では対処できない患者は漁船かヘリコプターで輪島まで搬送される。
島の中央には灯火標高42.7mの舳倉島灯台がある。ここには海上保安庁の職員が常駐し、天気や風、海面の様子を船舶気象通報として情報提供していたが、2005年4月1日から無人化された。
大陸と日本列島を往復する渡り鳥にとっては格好の休息地であるため、全国からバードウォッチャーが集まる日本有数の野鳥観察のメッカであり、確認されている野鳥は約300種類を数える一方、年間を通して見る事が出来る留鳥はハクセキレイ等4種類に留まり日本において最も普遍的に存在するスズメもいない。
島の南端に近い字高見には延喜式内社奥津比咩(おくつひめ)神社が鎮座し、近くからは5世紀と8世紀・9世紀の重層遺跡「シラスナ遺跡」が発見されている。この島は古代から日本海交通の要所であり、海士の拠点でもあった。ただ、伊能忠敬の地図には記されていない。日露戦争中、本船を沈められたロシア兵2、3人が手漕ぎボートで漂着して島民とともに生活していたという伝承がある[3]。
舳倉島の北約250m~200mにある小瀬と大黒瀬の2つの小島は日本の排他的経済水域(EEZ)の基点となっている[4]。
主な施設
- 舳倉島港
- 舳倉島灯台
- へぐら愛らんどタワー
- 鳳至小学校・上野台中学校の舳倉島分校
- 総合開発センター
- 市立輪島病院舳倉診療所
- 舳倉島駐在所
- 奥津比咩神社