朝比奈切通し
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朝比奈切通し(あさひなきりどおし)は鎌倉七口のひとつで、朝夷奈切通しとも呼ばれる。1241年(仁治2年)4月から鎌倉幕府執権、北条泰時が命じて作らせた切通しである。現在は、鎌倉市十二所から横浜市金沢区朝比奈町を結ぶ遊歩道となっている。
金沢六浦津から鎌倉へ抜ける重要路線と言うことで執権泰時自ら工事を行ったと言われている。 峠の頂上付近(鎌倉市と横浜市の市境)の辺りが「大切通し」それより金沢寄りを「小切通し」と言い、1969年(昭和44年)6月5日に「朝比奈切通」として国の史跡に指定された。 鬱蒼とした森の中に有る切り通しは、現在でも当時の趣を感じられる。
工事に際しては、泰時が自ら土石を運び、着工に寄与したという。[1]
伝説では、朝比奈三郎義秀(和田義盛の三男)が一夜にして切り開いたことから朝比奈の名前が付くといわれている。
切り通し途中にある熊野神社は、鎌倉の鬼門の守り神として建てられたといわれる。
現在は、切通しは幹線道路からは外れ、歩行者のみが通行できる静かな遊歩道となっている。切通しに代わる道路として、1956年(昭和31年)切通しの北側に 神奈川県道204号金沢鎌倉線が開通しており、朝比奈峠と呼ばれている。
脚注
- ↑ 新人物往来社「北条氏系譜人名辞典」356項
関連項目
外部リンク
- 国指定文化財等データベース - 「朝夷奈切通」の名称で、史跡に指定されている。