下河辺建二
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下河辺 建二(しもこうべ けんじ、明治11年(1878年)10月 - 昭和39年(1964年)2月28日)は、日本の実業家。大阪府平民[1]。
経歴
大阪府下・下河辺俊斎二男[1]。大阪商業学校(現・大阪市立大学)卒業後、大阪百三十銀行に就職[2]。兵役のため銀行を辞め、その後藤田組の小坂鉱山で働く。そこで藤田組創立者の甥である久原房之助を知り、久原が興した久原鉱業の一員として同社が買収した日立鉱山で働く。久原が病に倒れ久原鉱業が日本産業として再建されると、専務として新社長の鮎川義介を支える[2]。のちに日本鉱業(現・JX日鉱日石エネルギー)の社長[3]、日産農林工業(現・兼松日産農林)の会長等を歴任した。
家族・親族
下河辺家
- 妻・まつ
- 長男・下河辺孫一(下河辺牧場の創業者、ドイツ文学者・小澤俊夫の義父)[3][4]
- 次男・下河辺三史(日製産業(現・日立ハイテクノロジーズ)の元社長、元内閣総理大臣・芦田均の娘婿)[3][4]。
- 長女・やさ(山下汽船(現・商船三井)常務や山栄船舶社長等を歴任した漆野寿一に嫁す[3])
- 次女・そよ(医師の棟方信に嫁す[3])
- 三女・みな子(『水泳で若返る - 水中散歩から腰痛防止まで』(主婦の友社・主婦の友健康ブックス、1987年発行)の著者・金澤壮二に嫁す[3])
- 四女・華子(南洋興発の専務を務めた松江宏次(南洋興発社長・松江春次の次男で陸軍軍人・松江豊寿の甥)に嫁す[3])
- 孫に下河辺牧場代表の下河辺俊行[3]、心理学者の小沢牧子[3][4]、元嘉悦大学助教授の下河辺元春[3]、音楽プロデューサーの下河辺晴三らがいる[3][4]。
- 曾孫にはミュージシャンの小沢健二がいる。
参考文献
- 佐藤朝泰 著 『閨閥 日本のニュー・エスタブリッシュメント』 立風書房、1981年10月30日第1刷発行、292-294頁
- 『財界家系譜大観 第6版』 現代名士家系譜刊行会、1984年10月15日発行、432頁
- 『財界家系譜大観 第7版』 現代名士家系譜刊行会、1986年12月10日発行、382頁
- 『財界家系譜大観 第8版』 現代名士家系譜刊行会、1988年11月15日発行、404頁