金永春
テンプレート:Infobox 金 永春(キム・ヨンチュン、1936年3月4日 - )は、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の軍人、政治家。朝鮮人民軍総参謀長、人民武力部長、国防委員会副委員長、朝鮮労働党中央委員会政治局員、党中央軍事委員会委員を歴任。朝鮮人民軍における軍事称号は次帥。
経歴
咸鏡北道会寧出身。ソ連のフルンゼ名称軍事アカデミーに留学後、軍部内で台頭。1980年、党中央委員候補に選出。
1986年に党中央委員に選出。同年12月に総参謀部作戦局長に任命。1992年には大将に昇格した。1994年3月、人民軍第6軍団長に任命。
1994年7月の金日成の死後、反金正日運動を抑え、金正日の信任を得たとされる。1995年10月8日、人民軍次帥の称号を授与され[1]、同月には朝鮮人民軍総参謀長に任命された[2]。以後、12年にわたって軍総参謀長を務める。
1998年9月5日、第10期最高人民会議第1回会議において国防委員会委員に選出[3]。2007年4月11日、第11期最高人民会議第5回会議において国防委員会副委員長に選出され、総参謀長を退任した。2008年9月9日に行われた建国60周年の軍事パレードでは、金正日が不在の中「偉大なる金正日同志万歳!」と演説。
2009年2月11日、人民武力部長に任命。金正日の側近の一人となり、金正日の現地指導には、常に金永春の姿があったという。
2010年10月28日の第3回党代表者会において党政治局委員に補選され、党内序列第6位に昇格した[4]。
2011年8月11日、韓国の聨合ニュースは、金正恩への権力継承が進む中で、金永春の威信が「無力化」したと言う韓国のハンナラ党関係者の発言を報道した。同関係者は「このため、北朝鮮軍部内で混乱が生じているのはもちろん、状況次第では朝鮮半島情勢が危機的な状況につながる恐れがある」と述べた。その上で、「北朝鮮軍部内の強硬派の動きを注視する必要がある」とした[5]。
ただ、このニュースが伝えられた後の8月20日に金正日がロシアを訪問し、そして、24日にロシア大統領ドミートリー・メドヴェージェフと会談した際に軍服姿で金正日に同行している姿がニュース映像で確認できるため、聨合ニュースが伝えた金永春の権威失墜のニュースの真相は定かではない[6]。
2011年9月9日、朝鮮民主主義人民共和国建国63周年記念の労農赤衛隊のパレードの際に再び演説。
2012年4月に人民武力部長を退任し[7]、同4月11日の第4回党代表者会において党中央委員会部長に転出した[8]。
2014年4月9日の第13期最高人民会議第1回会議で国防委員会副委員長に選出されず同職を退任した[9]。
脚注
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- ↑ 「重要日誌」『アジア動向年報』1995年版、92ページ
- ↑ 10月12日判明。「重要日誌」『アジア動向年報』1995年版、92ページ
- ↑ http://d-arch.ide.go.jp/browse/pdf/1998/102/1998102REF.pdf
- ↑ 「参考資料 朝鮮民主主義人民共和国 2010年」『アジア動向年報2011』アジア経済研究所、2011年、68ページ
- ↑ テンプレート:Citenews
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- ↑ 「序列3位に一気に上昇の崔竜海書記 金正覚氏は人民武力部長」『産経新聞』2012年4月11日
- ↑ 「朝鮮労働党第4回代表者会議が行われる」『ネナラ』2012年4月12日
- ↑ 최룡해, 장성택 자리 메우고 명실상부한 '北 2인자'로 朝鮮日報 2014年4月10日