変若水
変若水(おちみず、をちみづ)とは、飲めば若返るといわれた水。月の不死信仰に関わる霊薬の一つ。人間の形態説明の一部としても形容される。
月夜見の持てるをち水
日本神話における月神、ツクヨミも変若水の信仰に関わりを持っており、『萬葉集』の中で「月夜見」は、若返りの霊水「をち水」を持つ者として登場する。巻13の歌には、
「天橋(文) 長雲鴨 高山(文) 高雲鴨 月夜見乃 持有越水 伊取來而 公奉而 越得之(旱)物」
- 天橋も 長くもがも 高山も 高くもがも 月夜見の 持てるをち水 い取り来て 君に奉りて をち得てしかも(3245)
反歌
「天有哉 月日如 吾思有 君之日異 老落惜文」
- 天なるや 日月のごとく 我が思へる 君が日に異に 老ゆらく惜しも(3246)
という歌が見られ、年老いていく人を嘆いて、どうにかして天にいる「月夜見」が持つという「をち水」を取り、あなたに奉りたいと若返りの願望を詠んでいる。万葉集中に「をち水」を詠んだ歌は幾つか見られ、
「吾手本 將卷跡念牟 大夫者 變水白髪生二有」
- 我が手元 まかむと思はむ ますらをは をち水求め 白髪生ひにたり(巻4・627)
「白髪生流 事者不念 變水者 鹿煮藻闕二毛 求而将行」
- 白髪生ふる ことは思はず をち水は かにもかくにも 求めてゆかむ(巻4・628)
「従古 人之言来流 老人之 變若云水曽 名尓負瀧之瀬」
- 古ゆ 人の言ひける 老人の をつといふ水ぞ 名に負ふ瀧の瀬(巻6・1034)
とある如く、いずれの歌にも年老いた者を若返らせる「をち水」を求める切実な心が詠み込まれている。
新井秀夫は、論文「「月夜見の持てるをち水」小考」(「日本文芸研究」1991年4月)において、民俗学の見地から、元旦に一年の邪気を払う「若水」を汲む行事が日本各地で多数採取されていること、そして『延喜式』『年中行事秘抄』や佚書『月舊記』などの文献に平安時代の年中行事として、立春の日に行われる「供若水」が見られることを指摘し、古代日本に季節が新しく生まれ変わるのと同じように、春の始めに聖なる水「若水」を汲み、身心を清め生気をたくわえるいわゆる「若水」信仰の存在を考察している。そして、ある種の水を若返りの水として神聖視する信仰は、万葉集においては「変若水」や若返りを詠んだ歌に散見されており、単純な文学的表現とは考えにくいので、これらの歌表現の背景に「若水」信仰が存在したのではないかと考察している。
アカリヤザガマの若水と死水
「月と若返りの水」の結びつきは、ロシアの東洋学者ニコライ・アレクサンドロヴィッチ・ネフスキーが著した『月と不死』(東洋文庫)に採集された、沖縄の民族伝承にも語られている。
太古の昔、宮古島にはじめて人間が住むようになった時のこと、月と太陽が人間に長命を与えようとして、節祭の新夜にアカリヤザガマという人間を使いにやり、変若水(シジミズ)と死水(シニミズ)を入れた桶を天秤に担いで下界に行かせた。「人間には変若水を、蛇には死水を与えよ」との心づもりである。しかし彼が途中で桶を下ろし、路端で小用を足したところ、蛇が現れて変若水を浴びてしまった。彼は仕方なく、命令とは逆に死水を人間に浴びせた。それ以来、蛇は脱尾して生まれかわる不死の体を得た一方、人間は短命のうちに死ななければならない運命を背負ったという。
月と太陽の慈悲がかえって人の死という悲劇の誕生となったが、神は人を哀れみ、少しでも若返りできるよう、その時から毎年、節祭の祭日に「若水」を送ることとなった。これが「若水」の行事の起こりである。
若水信仰の起こり
中国の古い伝説には若返りの仙薬の話が幾つもあり、『淮南子』には、姮娥が西王母の「不死の薬」を盗んで月の世界に走った話がある。このような仙薬の話が、若返りの薬の発想の由来となったとも見られる。これと同じ発想の話は世界中に広がっており、フレイザーは死の由来話を分類して、蛇など脱尾する動物にからむ「蛇と脱尾(脱皮?)」型と、月の満ち欠けを人の死の由来を結びつけて考えた「月盈虚」型に分けている。アカリヤザガマの話は両者の結合した形となっており、しかもその話の結尾が若水の行事の由来話となっている。
このように古くから世界中で月と不死・再生が結び付けられて来たのは、月の盈虚が見せる死と再生の姿であろうと考えられている。月は新月から上弦の月、満月、下弦の月、新月…という満ち欠けのループを繰り返している。すなわち、月が満月という盛りを過ぎて衰え、下弦の月となってしまいには新月として消えてしまうが、また三日月として夜空に復活する、というループが直接に死と再生を想起させ、そこから更に不死と不老を願う観念と結びついて、「若水」の信仰が成立したと考えられる。