山形鋳物
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山形鋳物(やまがたいもの)は、日本の伝統的工芸品。 山形県山形市とその周辺に伝わる鋳物で、1975年に、経済産業省(当時の通産省)に伝統的工芸品に指定された。また、鋳物の技術を利用した機械部品鋳物も盛んに作られている。
歴史
- 平安時代の中頃に、前九年の役を治めるため、源頼義が山形を訪れた際に、従軍した鋳物職人が、馬見ヶ崎川の砂と周辺の土質が鋳物に適することから、一部がこの地に留まって鋳物を作ったのが始まりといわれる。 斯波兼頼による山形城築城の際に、鋳物を献納したといわれる。
- 江戸時代にはいり、最上義光の治世が行われると、城下町再編によって、鋳物職人は職人町に集められ、銅町(現在の山形市銅町)をつくる。このころ、足踏み式たたらを導入し、梵鐘や灯籠など大型の鋳物が作られるようになる。
- 山形が出羽三山の参拝客で賑わうと、山形鋳物の仏具や日用品が土産として用いられ、全国的な知名度を得るようになる。
- 明治時代、全国の鋳物職人が、日露戦争で使われる砲弾の製造を従事、とくに技術が優れていたといわれる。
- 日中戦争開戦と戦時経済体制の移行により原材料の統制強化で民需は極端な制限を受けた。また一部では蓄積した技術を軍需産業へ転換する動きもあった。
- 敗戦後軍需産業から平和産業への転換が進み、伝統工芸からミシン、自動車部品への進出が始まった。
- 1974年、銅町が手狭になると、山形鋳物工業団地に移転、鋳物町をつくる。
主な製品
茶道で使われる茶の湯釜の大半が山形産の鋳物である。
- 茶の湯釜、鉄瓶、青銅花瓶、鉄鍋など、工芸鋳物
- 織機、農機具、工作機械部品、自動車部品などの機械鋳物
規模
- 企業数34社
- 従業員数160人
- うち伝統工芸士10人