鍋島清久
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鍋島 清久(なべしま きよひさ、延徳2年(1490年)- 天文13年(1544年))は、戦国時代の武将。龍造寺氏の家臣。
経歴
父の鍋島経房(初名:清直)は、龍造寺氏の主君にあたる少弐氏の出身で母方の鍋島氏を継承していた。また、鍋島直茂の祖父で、鍋島清房の父に当たる。妻は野田大隈守の娘。
もとは肥前の在地の小土豪であったが、1530年、龍造寺家兼が大内義隆と戦ったとき(田手畷の戦い)、家兼に協力して赤熊の面をかぶって大活躍したという。これにより清久はその実力を認められることになり、鍋島氏は龍造寺氏の家臣となったのである。テンプレート:Asboxテンプレート:Japanese-history-stub