満川亀太郎
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満川 亀太郎(みつかわ かめたろう、1888年1月18日 - 1936年5月12日)は、日本のジャーナリスト・アジア学者・思想家。大阪府出身。
経歴
早稲田大学中退後、新聞記者を経て老壮会の世話人、さらに大川周明や北一輝らとともに猶存社を結成、猶存社解散後は安田共済事件まで行地社に所属するなど、アジア主義に立脚した国家改造運動をすすめた。拓殖大学教授。大川や北らをはじめとするアジア主義者や国家主義者、政界・官界・軍部だけではなく、社会主義者やデモクラットらとも幅広い親交を結んだ。
また、1919年(大正八年)5月には、「何故に過激派を敵とする乎」と題する文章を発表し、ソ連政府を承認すべきことを訴えている。
国立国会図書館憲政資料室では、満川の日記・原稿類や周辺人物からの書簡などがまとめられた「満川亀太郎関係文書」が所蔵・公開されている。
関連文献
著作
- 長谷川雄一編・解説『三国干渉以後』(『論創叢書』4)、論創社、2004年3月。ISBN 978-4-8460-0337-1
- クリストファー・W・A・スピルマン、長谷川雄一解説『奪われたるアジア-歴史的地域研究と思想的批評』、書肆心水、2007年4月。ISBN 978-4-902854-28-2
- 『ユダヤ禍の迷妄』、慧文社、2008年11月、ISBN 4863300069
伝記
- 拓殖大学創立百年史編纂室編『満川亀太郎-地域・地球事情の啓蒙者』上・下、拓殖大学、2001年9月。ISBN 4-9900685-5-6 / ISBN 4-9900685-6-4
関連項目