トリポリ
テンプレート:世界の市 トリポリ(テンプレート:Lang-en)は、リビアの首都。リビアの北西部に位置し、地中海に面した港町である。人口はおよそ170万人で、リビア最大の都市である。
都市名はギリシア語で「3つの都市」を意味する Tripolis に由来し、同語源で同名の都市にレバノンのトリポリやギリシャのトリポリがある。
都市名
都市名は紀元前7世紀にカルタゴによって建設されたフェニキア人の植民都市「オエア」「サブラタ」「レプテイス」3つを総称してギリシア語で「3つの都市」を意味する Tripolis という名で呼ばれたことに由来する。現在のリビア北西部を「トリポリタニア(Tripolitania)」と呼ぶのは、トリポリに因んでいる。
アラビア語ではタラーブルス(طرابلس テンプレート:Transl)といい、レバノンにある同名の都市トリポリ(タラーブルス)と区別してタラーブルス・アル=ガルブ(طرابلس الغرب テンプレート:Transl 「西のトリポリ」の意)とも呼ばれる。
歴史
ヴァンダル王国の時代にリビア地域の中心都市として発展し、645年にイスラム帝国に併合されたのちは、シチリア王国に一時占領された時期を除いてチュニジアやエジプトのムスリム(イスラム教徒)諸勢力の支配下にあった。
1510年にスペインによって征服され、1530年からマルタ騎士団の支配下に入ったが、1551年にオスマン帝国が征服し(テンプレート:仮リンク)、西トリポリ州の州都に定められた。西トリポリ州は1711年から1835年までカラマンリー朝がオスマン帝国の宗主権下に地方世襲政権を立てたほかは、1911年にイタリアによって占領されるまでオスマン帝国の直轄統治下に置かれた。
その後、イタリアの植民地支配から、第二次世界大戦中の1943年のイギリス軍による占領を経て1951年に独立したリビアの首都となり、同国最大の都市として政治、経済、文化の中枢に発展した。1986年にはカダフィ大佐の暗殺を狙い、アメリカ空軍および海軍が空爆した。2011年の内戦では8月に戦闘が発生し、8月23日には反体制派により制圧された。
地理
トリポリは地中海に臨むサハラ砂漠の端に位置する。チュニジアから約200km離れており、リビア第2の都市ベンガジとはスルト湾を間に挟む。300kmにわたる海岸はオアシス、砂漠、潟が交互に続く。地中海性気候だが、最高気温は7月から10月が27度Cから30度C、12月から3月が18度Cから23度Cの間である。4月から9月の降雨が少なく、とくに7・8月はゼロである。11月から1月は70mm~90mm、年間合計は400mmを下回る。
建築
姉妹都市
- テンプレート:Flagicon サラエヴォ(ボスニア・ヘルツェゴビナ)
- テンプレート:Flagicon ベオグラード(セルビア共和国)
- テンプレート:Flagicon マドリード(スペイン)
- テンプレート:Flagicon ベロオリゾンテ (ブラジル)
- テンプレート:Flagicon アルジェ (アルジェリア)
- テンプレート:Flagicon ベイルート (レバノン)