紀元前314年
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
テンプレート:Yearbox 紀元前314年は、ローマ暦の年である。当時は、「リボとロングスが共和政ローマ執政官に就任した年」として知られていた(もしくは、それほど使われてはいないが、ローマ建国紀元440年)。紀年法として西暦(キリスト紀元)がヨーロッパで広く普及した中世時代初期以降、この年は紀元前314年と表記されるのが一般的となった。
できごと
マケドニア帝国
- かつてのアレクサンドロス3世(大王)の帝国のうちアジア地域のディアドコイ(後継者)となっていたアンティゴノス1世(アンティゴノス朝の開祖)が、バビロンから逃れたサトラップ(太守)セレウコス1世(セレウコス朝の開祖)に味方する、マケドニア王国の摂政カッサンドロス(カッサンドロス朝の開祖)、トラキアの太守リュシマコス、エジプトの太守プトレマイオス1世(プトレマイオス朝の開祖)たちの連合軍と対峙した。
- アンティゴノスは、プトレマイオスの支配下にあったシリアに侵入し、テュロスを包囲して陥落させた。アンティゴノスは、シリア全域を占拠し、自らを摂政を称するようになった。
ギリシア
- カッサンドロスがギリシア中央部の支配権を維持するために戦い続けていたため、アンティゴノスはギリシアの諸都市に、反カッサンドロスで自分に味方すれば自由を保証すると呼びかけた。アイトーリア人たちはアンティゴノスと同盟した。カッサンドロスは、同盟するリュシマコス、プトレマイオス1世、セレウコス1世とともにアイトーリアへ侵攻し、アグリニオの町を破壊した。