漆器
漆器(しっき)は、木や紙などに漆(うるし)を塗り重ねて作る工芸品である。
概要
漆はウルシノキ等から採取した樹液を加工した、ウルシオールを主成分とする天然樹脂塗料である。ウルシノキから樹液をとることを「漆掻き」「漆を掻く」という。現在では、国産の漆の生産量はごく僅かで、大半を中国から輸入している。
製造工程は漆の精製から素地(きじ:素材が木の場合には「木地」)の加工、下地工程、塗り工程などに大きく分けられるが、細かな工程を挙げると30から40もあり複雑である。工程の違いにより、漆塗にもさまざまな種類がある。漆の工芸品は中国、インドシナなど東アジアで広く見られる。
英語で、磁器をchinaと呼ぶのに対して漆器をjapanと呼ぶことからも判るように、欧米では日本の特産品と考えられている。 漆器という区分より漆塗の範疇として中国や欧米では捉えられている。
漆を塗る下地は木(木地)に加えて、合成樹脂や木の粉を樹脂で固めたものもある。
歴史
長江河口にある河姆渡遺跡で発掘された漆椀は、放射性炭素年代測定で約6200年前と確認されたことから、漆器は中国が発祥地で技術は漆木と共に大陸から日本へ伝わったと考えられていた。
ところが、北海道の南茅部町の垣ノ島遺跡から出土した漆の装飾品6点が、米国での放射性炭素年代測定により中国の漆器を大幅に遡る約9000年前の縄文時代前期の装飾品であると確認された[1]。縄文時代の集落と生活様式の変遷が確認できる垣ノ島遺跡からは、赤漆を染み込ませた糸で加工された装飾品の他に、黒漆の上に赤漆を塗った漆塗りの注口土器なども発見されている。
さらに、福井県(鳥浜貝塚)で出土した漆の枝は、放射性炭素(C14)年代測定法による分析の結果、世界最古の約 12600年前のものであると確認され、漆木のDNA分析で日本の漆は日本固有種であることが判明した。 更なる調査で技術的に高度な漆工芸品である「赤色漆の櫛」も出土、 この他に、木製品、丸木船、縄、編物、その加工に用いられた工具なども相次いで出土しており、漆工芸品も含めた木材加工の関連品が発見されている[2]。このことから、現在では漆器の起源は日本であるという考えが一般的である。
上記の垣ノ島遺跡から出土した漆器は2002年12月28日の深夜に,8万点に及ぶ出土文化財や写真,図面とともに火災にあった。幸い形の認識と繊維状の痕跡がはっきりと視認できる部分は焼失を免れ,2004年の4月には12ページの調査報告『垣ノ島B遺跡出土漆製品の分析と保存処理』が出された[3]。
うるしの日
京都嵐山法輪寺で木地師の祖ともされる惟喬親王が漆や漆器の製法を祈願し成就した11月13日は「うるしの日」とされている[4]。
漆器に用いられる技法
- 蒔絵(まきえ): 蒔絵筆によって漆で模様を描き、その漆が乾かないうちに金粉や銀粉をまき、研ぎ出しや磨きを行うことで模様を作り上げる。平蒔絵、研出蒔絵、高蒔絵などの技法がある。日本独自の技法。
- 沈金(ちんきん):沈金刀で漆の表面を線刻し、その彫り跡に金箔や銀箔をすり込んで文様をつくる。
- 螺鈿(らでん):アワビや夜光貝の貝殻を薄く研磨したものを漆の表面にはめ込む。貝殻の真珠質が見る角度によって青や白など、様々な輝きをみせる。
- 拭き漆(ふきうるし):顔料を加えていない漆を木地に塗ってはふき取る作業を何度も繰り返し、木目を鮮やかに見せる手法。
- 彫漆(ちょうしつ):漆を何層も厚く塗り重ね、その漆の層を彫り出して文様を描く技法。
- 堆朱(ついしゅ):朱色の漆を何十回ないし100回以上も塗重ねてから模様を彫る技法。元は中国の技法。
- 蒟醤(きんま):沈金と似ているが、金ではなく色漆を充填したもの。タイから伝わった。
その他、スクリーン印刷のような比較的安価な機械化された技法もある。
産地による分類
青森県
秋田県
岩手県
宮城県
新潟県
福島県
茨城県
栃木県
東京都
神奈川県
静岡県
長野県
岐阜県
石川県
富山県
福井県
滋賀県
京都府
奈良県
和歌山県
岡山県
島根県
山口県
香川県
愛媛県
福岡県
宮崎県
沖縄県
脚注
- ↑ よみがえる漆文化(1) 九千年前副葬品に痕跡 デイリー東北新聞社 2003年9月2日
- ↑ 福井・三方五湖 「縄文」「自然」湖底に眠る 世界最古、鳥浜遺跡の漆 日本経済新聞 2012年10月3日
- ↑ 漆に見る朱色と黒色。
- ↑ テンプレート:Cite web
参考文献
佐々木英『漆芸の伝統技法』理工学社、1986年、ISBN 978-4844585329