下部温泉
下部温泉(しもべおんせん)は山梨県南巨摩郡身延町下部にある温泉。
泉質
元々ある旧源泉および2006年に湧出した供用開始した新源泉(しもべ奥の湯高温源泉)で異なることから表にしてまとめる。
源泉名 | 泉質 | 泉温 | pH数 | 湧出量 | 試験日 |
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旧源泉 | アルカリ性単純温泉(低張性アルカリ性低温泉) | 31.3℃ | 9.0 | 測定不能 | 2005年1月31日 |
新源泉 | アルカリ性単純温泉(低張性アルカリ性高温泉) | 51.0℃ | 9.3 | 毎分445.5L | 2006年5月31日 |
- 旧源泉は「山梨県衛星公害研究所」資料より
- 新源泉は下部温泉郷 『 しもべ奥の湯高温源泉の温泉相特性 』 説明板より
効能
- 疲労回復、外傷、火傷、リューマチ、神経痛
※注 : 効能はその効果を万人に保証するものではない
概要
『甲斐国志』に拠れば、承和3年(836年)に熊野権現が出現して温泉が湧いたといわれ、温泉を中心に下部村が形成される。鎌倉時代の日蓮書状(『日蓮聖人遺文』)や室町時代には塩山向嶽寺の開祖抜隊得勝が湯治をしたと伝わり(『抜隊語録』による)、甲府の一蓮寺過去帳にも名前が見られる。戦国時代に下部村は湯之奥金山や木材伐採など河内地方の産業を支える拠点にもなり、下部温泉は河内領主である武田一族の穴山氏が再興し(天正6年(1578年)7月20日佐野次郎右衛門尉宛穴山信君朱印状、風水被害を受けた温泉の復興を命じる内容)、徳川家康も入浴したという(『国志』)。
江戸時代に湯治場となり、身延山久遠寺参詣者も利用した。戦国時代には武田信玄の隠し湯であるとする付会伝説が加わり、近代には富士身延鉄道(身延線)の開通により浴客は急増した。1956年(昭和31年)6月15日、国民保養温泉地に指定。
旧源泉は鉱泉分析法指針に基づく「低温泉」に指定されているほどの非常にぬる湯であり、旧源泉を使用している多くの温泉宿では源泉そのままの湯と加温した湯の2種類の浴槽を用意している[1]。
2004年(平成18年)の温泉偽装問題では、一部の源泉が温泉法の規定外であることがわかり[2]、山梨県衛生公害研究所による詳細な検査の結果、泉温が21.7℃と温泉法の定める25℃以上を大きく下回っていたことが発表された[3]。この源泉では1969年に25.9℃と温泉法の規定を満たしていることを確認した後、低温の地下水の泉脈への流入量が増加し、それにより泉温低下が発生したと推測されている。これを受けて新たな源泉掘削を行った結果、2006年(平成18年)に高温の源泉が湧出。新源泉は「しもべ奥の湯高温源泉」と名付けられ供給を開始している[4]。
温泉街
旧下部町南西部に位置している。南東の毛無山西麓で、富士川の支流で毛無山から発する下部川(湯川)に沿って静かな温泉宿が並んでいる。下部温泉前には温泉街最大の宿泊施設下部ホテルがあるほか、源泉館の足下湧出泉が有名である。