エド・ウッド
テンプレート:ActorActress エド・ウッド(テンプレート:En, フルネームは テンプレート:En, エドワード・D・ウッド・Jr.、1924年10月10日 - 1978年12月10日)は、アメリカの史上最低といわれた映画監督。彼は、映画プロデューサー、脚本家、俳優をすべて務めた。自らが製作した映画がすべて興行的に失敗した為、常に赤貧にあえぎ、貧困のうちに没した。死因はアルコール中毒。
人物・エピソード
没後はしばらく忘れられていたが、映画の上映権を安く買いたたかれた結果、深夜テレビの映画枠で繰り返し放送されることになった『プラン9・フロム・アウタースペース』は一部でカルト的な人気を得て評論家の目に止まり、1980年に「ゴールデンターキー賞」という本において「歴代最低映画」として紹介され、「再評価」が始まった。
彼の映画の出来が、一義的には「最低最悪」であることに異論をはさむものは少ない。彼が再評価されたのは、最低最悪の出来の映画ばかり作り、評価も最悪であり続けた(というよりも評価対象以前だった)にもかかわらず、それでもなお映画制作に対する熱意や、ほとばしる情熱を最後まで失わなかったためである。これをもって「ハリウッドの反天才」「芸術の突然変異」との称号(?)で称されることもある。
しかし自身の最高傑作と信じた『プラン9・フロム・アウタースペース』に全く買い手が付かず、それどころか彼のフィルムを営業していたプロデューサーが疲労と絶望のうちに死んでしまう。この事態には、さすがのエド・ウッドも打ちひしがれ、アルコールに依存、酒浸りの生活を送るようになった上、質の悪い映画ながらも圧倒的な演技力でメリハリを作っていたベラ・ルゴシが死去するなど、一般に彼の映画のうち「評価」される(つまり彼の個性や作風、映画作りに対する意欲などを明確に感じられる)のは『プラン9』以前の三本までで、以降はただ単に退屈なだけの映画と認知されている。晩年は、旺盛であった映画作りに対する意欲すら失われ、低予算映画の脚本やポルノ小説の執筆で糊口を凌いでいたと言われる。
彼のファンといわれる映画監督にはティム・バートン、ジョン・ウォーターズ、デヴィッド・リンチ、サム・ライミ、クエンティン・タランティーノなど。
ウッド自身の人物像・生涯は、ジョニー・デップ主演で映画化された『エド・ウッド』で垣間見ることができる。そのほか関連資料『映画秘宝 エド・ウッドとサイテー映画の世界』と伝記『エド・ウッド 史上最低の映画監督』に詳細が掲載されている。
女装癖があり、第二次世界大戦に従軍した際、上陸作戦中にブラジャーとパンツを軍服の下に着込んでいた。
元恋人で作曲家のテンプレート:仮リンクが2011年に死去した2013年現在、エド・ウッドが監督した主な映画に出演した役者はテンプレート:仮リンクとグレゴリー・ウォルコットのみとなっている。
主なフィルモグラフィ
- グレンとグレンダ Glen or Glenda (1953) 監督・脚本・出演
- 牢獄の罠 Jail Bait (1954) 監督・脚本・原案・製作
- 怪物の花嫁 Bride of the Monster (1955) 監督・脚本・原案・製作
- プラン9・フロム・アウタースペース Plan 9 From Outer Space (1959) 監督・脚本・原案・製作
- 死霊の盆踊り Orgy of the Dead (1965) 脚本・原案・製作
- エド・ウッドのX博士の復讐 Venus Flytrap / Body of the Prey / The Revenge of Doctor X (1970) 脚本(クレジット無し)
- ポルノ同窓会/輪獣 The Class Reunion (1972) 脚本
- 淫欲(秘)地帯 The Snow Bunnies (1972) 脚本
- クレイジー・ナッツ 早く起きてよ I Woke Up Early the Day I Died (1998) 脚本
このうち、『クレイジー・ナッツ』はエド・ウッドの遺稿を忠実に映画化したもので、脚本にセリフが書かれていなかった為いっさいセリフのない実験映画となっている。出演者らも妻キャシー・ウッドを含む非常に豪華な面々であり映画人のエド・ウッドへの愛慕を示す好例である。
また、この他に多くのポルノ作品を監督している。
関連資料・伝記
- ティム・バートン監督の伝記映画:エド・ウッド (映画) エド・ウッド役=ジョニー・デップ
- 『映画秘宝 エド・ウッドとサイテー映画の世界』(洋泉社、1995年)
- ルドルフ・グレイ(著)、稲葉紀子(訳)『エド・ウッド 史上最低の映画監督』(早川書房、1995年)