桜駅 (三重県)
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テンプレート:駅情報 桜駅(さくらえき)は、三重県四日市市智積(ちしゃく)町字武佐にある、近畿日本鉄道(近鉄)湯の山線の駅である。
駅構造
相対式ホーム2面2線を持つ行違可能な地上駅。改札・コンコース駅舎は地下に、ホームは地上にある。改札口は1ヶ所のみ。地上に駅舎があった当時は2番線ホームと駅前道路の間に四日市西高校へ通学する生徒に対応するための登校時間帯限定の臨時改札口が、現在の地下通路の真上付近に設けられていたが、地下駅舎化と駅前整備の際に廃止され撤去された。駅入口は南北双方、両側ホーム四日市寄りに1ヶ所ずつある。車椅子用スロープは地上からそのまま入場可能(インターホンにより駅員を呼び出せる)。
のりば
1 | テンプレート:Color湯の山線(上り) | 四日市・名古屋・大阪・賢島方面 |
---|---|---|
2 | テンプレート:Color湯の山線(下り) | 菰野・湯の山温泉方面 |
- 1番線(上りホーム側)を上下本線とした一線スルー配線であるが、相対式ホームであることもあり、現在は全列車が方向別にホームを使い分けている。
- 特急が運転されていた当時は、普通列車は当駅で特急列車との待ち合わせを行った。この場合普通電車は四日市行き・湯の山温泉行きを問わず2番線に入線し、特急列車は直線状の1番線を速度を落とさずに通過していた。
- 地上に駅舎があった当時、乗客と通過列車との接触を防止するため、特急が通過する際は駅舎と構内踏切で連絡していた1番線を、構内踏切の手前にローブを渡すことで閉鎖し、2番線に停車する普通電車への乗車を促す対応がとられていたが、地下駅舎となってからは特急通過時の入場制限も行われなくなり、場内アナウンスなども行われなかった。
- 現在も1番線・2番線ともに、四日市方・湯の山温泉方の両方に3灯式の出発信号が、桜駅と高角駅との間には特急の後追い運転ができるよう閉塞区間が設けられており、優等列車の運行にも対応している。
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駅舎(南西側)
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駅構内を四日市方より見る
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駅前広場(車での送迎スペース・駐輪場が設置されている)
- Sakura-station-entrance-slope.jpg
地下通路・改札口に通ずるスロープ
- Sakura-station-ticket-gate.jpg
コンコース・改札口(地下にある)
利用状況
「三重県統計書」によると、1日の平均乗車人員は以下の通りである。
年度 | 一日平均 乗車人員 |
---|---|
1997年 | 2,116 |
1998年 | 2,183 |
1999年 | 2,152 |
2000年 | 2,221 |
2001年 | 2,274 |
2002年 | 2,239 |
2003年 | 2,255 |
2004年 | 2,283 |
2005年 | 2,319 |
2006年 | 2,279 |
2007年 | 2,248 |
2008年 | 2,271 |
2009年 | 2,193 |
2010年 | 2,189 |
2011年 | 2,091 |
2012年 | 2,092 |
- 桜駅の利用状況の変遷を下表に示す。
- 輸送実績(乗車人員)の単位は人であり、年度での総計値を示す。年度間の比較に適したデータである。
- 乗降人員調査結果は任意の1日における値(単位:人)である。調査日の天候・行事等の要因によって変動が大きいので年度間の比較には注意を要する。
- 2008年11月18日の調査結果によると、1日の利用客は3,620人(前回2005年11月8日の調査では3,700人)。この数字は…
- 近鉄の全調査対象駅(287駅)中、144位。
- 湯の山線の駅(10駅、近鉄四日市駅含む)の中では、近鉄四日市駅に次ぐ2位。
- 三重県内の近鉄の駅(116駅、但し調査当時)の中では、20位。
- 2008年11月18日の調査結果によると、1日の利用客は3,620人(前回2005年11月8日の調査では3,700人)。この数字は…
- 表中、最高値を赤色で、最高値を記録した年度以降の最低値を青色で、最高値を記録した年度以前の最低値を緑色で表記している。
年 度 | 当駅分輸送実績(乗車人員):人/年度 | 乗降人員調査結果 人/日 |
特 記 事 項 | ||||
---|---|---|---|---|---|---|---|
通勤定期 | 通学定期 | 定期外 | 合 計 | 調査日 | 調査結果 | ||
1958年(昭和33年) | 193,635 | ←←←← | 112,775 | 306,410 | |||
1959年(昭和34年) | ←←←← | ||||||
1960年(昭和35年) | ←←←← | ||||||
1961年(昭和36年) | ←←←← | ||||||
1962年(昭和37年) | ←←←← | ||||||
1963年(昭和38年) | ←←←← | ||||||
1964年(昭和39年) | ←←←← | ||||||
1965年(昭和40年) | 368,040 | ←←←← | 92,290 | 460,330 | |||
1966年(昭和41年) | 334,200 | ←←←← | 108,590 | 442,790 | |||
1967年(昭和42年) | 353,610 | ←←←← | 101,319 | 454,929 | |||
1968年(昭和43年) | 348,750 | ←←←← | 111,751 | 460,501 | |||
1969年(昭和44年) | 343,770 | ←←←← | 125,063 | 468,833 | |||
1970年(昭和45年) | 382,560 | ←←←← | 128,303 | 510,863 | |||
1971年(昭和46年) | 384,240 | ←←←← | 127,363 | 511,603 | |||
1972年(昭和47年) | 385,770 | ←←←← | 132,249 | 518,019 | |||
1973年(昭和48年) | 421,470 | ←←←← | 147,155 | 568,625 | |||
1974年(昭和49年) | 455,070 | ←←←← | 165,829 | 620,899 | |||
1975年(昭和50年) | 541,440 | ←←←← | 180,540 | 721,980 | |||
1976年(昭和51年) | 579,870 | ←←←← | 160,057 | 739,927 | |||
1977年(昭和52年) | 661,950 | ←←←← | 171,305 | 833,255 | |||
1978年(昭和53年) | 682,890 | ←←←← | 174,353 | 857,243 | |||
1979年(昭和54年) | 707,970 | ←←←← | 169,229 | 877,199 | |||
1980年(昭和55年) | 753,660 | ←←←← | 168,723 | 922,383 | |||
1981年(昭和56年) | 729,030 | ←←←← | 162,316 | 891,346 | |||
1982年(昭和57年) | 696,990 | ←←←← | 170,611 | 867,601 | 11月16日 | 4,319 | |
1983年(昭和58年) | 697,530 | ←←←← | 165,677 | 863,207 | 11月8日 | 4,439 | |
1984年(昭和59年) | 693,570 | ←←←← | 157,129 | 850,699 | 11月6日 | 4,242 | |
1985年(昭和60年) | 709,170 | ←←←← | 159,477 | 868,647 | 11月12日 | 4,183 | |
1986年(昭和61年) | 727,530 | ←←←← | 162,080 | 889,610 | 11月11日 | 4,262 | |
1987年(昭和62年) | 713,640 | ←←←← | 154,614 | 868,254 | 11月10日 | 4,240 | |
1988年(昭和63年) | 717,540 | ←←←← | 159,381 | 876,921 | 11月8日 | 4,250 | |
1989年(平成元年) | 707,580 | ←←←← | 152,023 | 859,603 | 11月14日 | 4,153 | |
1990年(平成2年) | 714,450 | ←←←← | 156,807 | 871,257 | 11月6日 | 4,223 | |
1991年(平成3年) | 732,840 | ←←←← | 157,201 | 890,041 | |||
1992年(平成4年) | 707,850 | ←←←← | 157,846 | 865,696 | 11月10日 | 3,928 | |
1993年(平成5年) | 725,580 | ←←←← | 157,230 | 882,810 | |||
1994年(平成6年) | 698,850 | ←←←← | 151,004 | 849,854 | |||
1995年(平成7年) | 678,420 | ←←←← | 170,295 | 848,715 | 12月5日 | 3,784 | |
1996年(平成8年) | 664,050 | ←←←← | 158,991 | 823,041 | |||
1997年(平成9年) | 622,170 | ←←←← | 150,323 | 772,493 | |||
1998年(平成10年) | 643,110 | ←←←← | 153,628 | 796,738 | |||
1999年(平成11年) | 634,410 | ←←←← | 153,126 | 787,536 | |||
2000年(平成12年) | 647,880 | ←←←← | 162,830 | 810,710 | |||
2001年(平成13年) | 666,390 | ←←←← | 163,716 | 830,106 | |||
2002年(平成14年) | 654,780 | ←←←← | 162,571 | 817,351 | |||
2003年(平成15年) | 660,930 | ←←←← | 164,466 | 825,396 | |||
2004年(平成16年) | 671,670 | ←←←← | 161,780 | 833,450 | |||
2005年(平成17年) | 684,600 | ←←←← | 161,879 | 846,479 | 11月8日 | 3,700 | |
2006年(平成18年) | 670,230 | ←←←← | 161,609 | 831,839 | |||
2007年(平成19年) | 663,150 | ←←←← | 159,734 | 822,884 | |||
2008年(平成20年) | ←←←← | 11月18日 | 3,620 | ||||
2009年(平成21年) | ←←←← |
駅周辺
駅・駅前の改修により周辺の雰囲気は様変わりした。
- 四日市市役所桜地区市民センター
- 四日市西郵便局
- 智積養水(名水百選)</br>駅前広場には、智積養水から引かれた人工河川がある。菰野町神森にある湧き水が出ている溜池「蟹池」とを結ぶ。
- 三重県立四日市西高等学校
- 西勝寺
- 東名阪自動車道 四日市IC
- 国道477号
- ファミリーマート
- Cannery Row(イタリアンレストラン)
- 初代桜駅があった当時、旅館や仕出し屋、芝居小屋などが立ち並ぶメインストリートであった旧街道沿いや駅に通じていた商店街通りは、現在でも鮮魚店や精肉店、フードセンターレオン(旧ジャスコ桜店)などの立ち並ぶ桜地区における生活の中心であり、在りし日の当時の面影を今も残している。
- 駅の四日市方にある高角7号踏切の南側には、旧線路敷を指し示す境界杭が残る。また駅の湯の山温泉方にある金渓川橋梁の西側には、旧線路の一部を利用した保線車両にバラストを積みこむための積載場がある。
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桜駅付近の旧線路の境界杭
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旧線路跡を利用したバラスト積載場
歴史
- 1913年(大正2年)6月1日 - 四日市鉄道(現在の湯の山線)川島村(現・伊勢川島) - 湯ノ山(現・湯の山温泉)間開通時に、桜村駅として開業。
- 1931年(昭和6年)3月1日 - 会社合併により三重鉄道の駅となる。
- 1944年(昭和19年)2月11日 - 会社合併により三重交通の駅となる。
- 1954年(昭和29年)7月 - 桜駅に改称。
- 1964年(昭和39年)2月1日 - 三重交通が鉄道事業を三重電気鉄道に分離譲渡、三重電気鉄道の駅となる。
- 1964年(昭和39年)3月 - 改軌工事に伴う線路短絡時に北方に0.2km移設。
- 1965年(昭和40年)4月1日 - 会社合併により近畿日本鉄道の駅となる。
- 1999年(平成11年)8月28日 - 地下駅舎完成。北側にロータリー及び駅前公園が完成。
- 2007年(平成19年)4月1日 - PiTaPa使用開始。
- 2012年(平成24年)10月 - 自動改札機使用開始。