紀元前280年
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
紀元前280年は,ローマ暦の年である。当時は、「ラエヴィヌスとコルンカニウスが執政官の年」(時にはローマ建国紀元474とも)呼ばれた。紀元前280年という命名は、キリスト紀元の紀年法がヨーロッパで一般化した中世から使われ始めた。
できごと
地域
セレウコス朝
- アンティオコス1世が、長男のセレウコスを東部の王に任命するが、無能さが判明する。
- アンティオコス1世が、父の仇であるマケドニア王プトレマイオス・ケラウノスに和平を結ぶ事を強いられ、マケドニアとトラキアを支配する計画が破綻する。
- ビテュニア王ニコメデス1世が、父ジポイテス1世から続くアンティオコスの侵攻に脅かされる。アンティオコスはビテュニアに
侵攻したが、戦いの危険を冒さず撤退した。
ギリシア
- ピュロスが、マケドニア王プトレマイオス・ケラウノスと同盟を結ぶ。この同盟によりイタリア遠征が可能になった。
- アカイア同盟がペロポネソス半島北部の12のポリスにより再結成される。後に非アカイア国家以外をも含み拡大した。同盟には、2名の成員のストラテゴスがおり、 比例代表制の連邦会議と自由市民全員の年会を開催した。これにより会により共通の貨幣鋳造と外交政策を決定し、成員のポリスは軍を出しあった。
- ロドスが、栄華を極め、島の同盟の長となり、エーゲ海の平和と自由を守ることを助けた。
- ロドス島の巨像が、彫刻家のリンドスのカレスにより12年を費やした後完成する。後に古代の世界の七不思議の一つとなる。ロドス島の巨像は、古代ギリシャの太陽神ヘーリオスをかたどり、高さは70キューピット(約34メートル)あり、古代世界最大の像であった。
共和制ローマ
- タラスの要請に答え、ピュロスは20000を超える軍を率いローマと対決する。ヘラクレアの戦いにおいて、プブリウス・ヴァレリウス・ラエヴィヌス執政官率いるローマ軍を撃破する。戦象を巧みに使ったことが勝利に大いに貢献した。ルカニア人やブルティウム人やメサピ人といった部族や、クロトンやロクリといったギリシャ都市もピュロス軍に参加した。
- ローマの司令官で雄弁家のガイウス・ファブリシウス・ルスキヌスが、身代金の交渉と捕虜交換のために派遣される。ピュロスはファブリシウスが賄賂を断ったことに感銘を受け、身代金なしで捕虜を釈放した。勝利により、ピュロスはラティウムまで前進する。
中国
トピック
天文学
最初に太陽系の太陽中心説的な見解を提案するが、地球の動いていることの証拠がなかったため、無視されてしまう。
誕生
死去
- ヘロフィロス ギリシャのアレキサンドリアの医学者。初期に人体解剖を公然と行った者で、解剖学の父と呼ばれる。(紀元前335年生)
- ファレーロンのデメトリウス(またはデメトリウス・ファレレウス) アテネの雄弁家、政治家、哲学者。プトレマイオス1世の法
廷で著名となり、雄弁家としての名声をほしいままにした。(紀元前350年生)