真理党
真理党(しんりとう)は、1990年(平成2年)の第39回衆議院議員総選挙の時、オウム真理教の教祖・麻原彰晃(松本智津夫)が党首となり結成された政治団体。1989年(平成元年)8月16日に東京都選挙管理委員会に政治団体設立を届出。麻原や教団幹部ら25名を擁立し、確認団体となったが、全員落選。供託金はすべて没収された。
選挙公約
- 消費税廃止 - 財源は行政改革による11兆円―政府が癒着をなくしさえすれば、消費税など必要ない。
- 医療改革 - 患者本位の医療と新しい医学の創造―これは誰にとっても切実な問題。早急に実施。
- 教育改革 - 明るい学校と知能教育の推進―子供達の健やかな成長のために。
- 福祉推進 - 豊かで充実した長寿社会を目指して―安らぎに満ちた毎日を。
- 国民投票制度導入の構想 - 真の国民国家であり続けるために―今の政治は不満だらけ。国民投票制度を導入すれば、消費税強行採決のような事態も防げるし、汚職議員も私達の手で解職できる。金権・腐敗政治の温床を一掃できる。
選挙活動
当時の東京4区(東京都渋谷区・中野区・杉並区)から出馬した麻原の選挙活動は異質であった。麻原の等身大マスコットや象の着ぐるみが登場し、白いコスチュームを着た女性信者達のダンス、更には麻原本人による「彰晃マーチ」や「魔を祓う尊師の歌」といったオウムソングの熱唱などの派手なパフォーマンスや、他党の候補者を妨害するような選挙活動をした。しかし、他の選挙区から出馬していた真理党の候補者は、選挙公報と政見放送、公設の掲示板に掲示するポスター以外の選挙活動を一切しなかった。
麻原以外の同党の候補者は「マイトレーヤ」(上祐史浩)などのように、ホーリーネーム(教団内での名前)での立候補の届出をしようとしたが認められなかった。だが、公設の掲示板に掲示されたポスターには、麻原党首を除き、ホーリーネームが大きく書かれている反面、本名は小さくしか書かれておらず、白い服で宗教上のポーズをとっている写真が多かった。
選挙結果
開票結果は、真理党自身の予想を大きく裏切った。麻原は自身が5-6万票を獲得して当選すると信じていたが、実際には5人区当選区で1783票にとどまり13位で落選する大惨敗だった。他の候補も麻原を下回る票数しか獲得できず、いずれも供託金没収となった。
既にマスコミの注目を浴びていた麻原は、開票速報を伝える各テレビ局の番組に出演し、真理党が落選したのは、国家権力による票数操作の陰謀のためと主張した(なお、いわゆる「泡沫候補」に対する報道上の差別は確かに存在し、泡沫視された真理党がまともに選挙報道されたことはなかった。しかし、この差別は泡沫候補全般に対するもので、特に真理党を狙ったわけではない)。
麻原は自身が出馬した東京都第4区にて、開票に不正がないか確かめるために信者3人にわざと本名の松本智津夫で投票させた上で、開票時の立会の際に票を確認させた。実際には大量の票の中からたった3票の「松本票」を発見するのは至難の業であるが、ここで松本票を確認できなかったことを選挙不正があると喧伝する材料にした[1]。
この惨敗の結果、麻原は武力による権力奪取の必要性を感じ、その後の教団がより一層凶暴化した原因になったと言われる。
また、この選挙に出馬する際に、これまでも盛んにオウム真理教に対立する言動を繰り広げてきた弁護士・坂本堤が、選挙戦の障害になるとして、麻原が坂本堤弁護士一家殺害事件(選挙3ヶ月前に)につながるゴーサインを出したとされる。なお、選挙立候補前の段階で既に殺人事件(男性信者殺害事件・坂本堤弁護士一家殺害事件)を犯していた真理党の候補者は6人(麻原、村井秀夫、新実智光、佐伯一明、中川智正、大内利裕)いた。
一方、被害対策弁護団は麻原が立候補した東京4区の杉並区内の一軒家に100人以上の住民票を集めているなど、居住もしていない住所で選挙権を得たとして、公選法違反で警視庁に告発する(不受理となる)。
真理党候補者と選挙結果一覧
- 候補の列は本名の50音順ソート、括弧内は当時のホーリーネーム。選挙区の列のソートボタンで元の順序に戻る。
出典
参考文献
- 江川紹子著『オウム真理教追跡2200日』(文芸春秋 1995年)
- 早川紀代秀・川村邦光著『私にとってオウムとは何だったのか』(ポプラ社 2005年)
- 井上順孝編『情報時代のオウム真理教』(春秋社 2011年)
関連項目
外部リンク