豊臣鶴松
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テンプレート:基礎情報 武士 豊臣 鶴松(とよとみ つるまつ)は、安土桃山時代の人物。豊臣秀吉の子。
生涯
天正17年(1589年)5月27日、豊臣秀吉の長男として山城の淀城で誕生する。このとき53歳という高齢の秀吉は鶴松の出生に喜び、生後4か月で鶴松を大坂城に入れて後継者として期待したが、生来病弱であった。
天正19年(1591年)閏1月に発病し、一旦は快復したものの、8月5日に大坂城でわずか数え3つで死去した。秀吉は鶴松のために曲直瀬玄朔ら天下の名医を集め、さらにポルトガルなど南蛮の医者まで呼び集めようとさえしたという。
秀吉の嘆きは大きく、京東山に菩提寺の祥雲寺(臨済宗)を建立した。この寺は豊臣氏滅亡後かつて秀吉と対立した根来寺の僧に与えられ、智積院(真言宗)となった。
養子や実子にことごとく先立たれた秀吉は、ここに甥の豊臣秀次を後継者として関白職を譲ることを決意するに至った。