紀元前190年
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テンプレート:Yearbox 紀元前190年は、ローマ暦の年である。
できごと
ギリシア
- セレウコス朝の艦隊とローマ帝国と同盟したロドス島及びペルガモンの船の間でエウリュメドン川の戦いが勃発した。セレウコス朝の軍はカルタゴのハンニバルに率いられていたが、ロドス島の同盟軍が勝利し、ハンニバルは敗走した。
- 引き続いて、セレウコス朝の海軍とロドス島を支援したローマ帝国の海軍の間でMyonessus の戦いが勃発し、ローマ軍が勝利した。
セレウコス朝
- セレウコス朝からの抵抗も受けず、スキピオ・アフリカヌスと弟のスキピオ・アシアティクスがエウメネス2世ソテルとともにアナトリアに入った。
- ローマ帝国からの脅威が増し、アンティオコス3世はローマの要求に基づいて交渉をしようとした。ローマ側はトロス山脈の西側を手放すように要求したが、アンティオコス3世が拒否すると、リディアの平原でマグネシアの戦いが勃発した。ローマ側が勝利し、セレウコス朝はギリシアの支配権を失った。
- アンティオコス3世が敗北すると、アルメニアのサトラップであるアルタクセス1世とザリアドレスは、セレウコス朝からの独立を宣言した。ローマ帝国の承認を経て、彼らはそれぞれアルメニア王国と小アルメニア王国の王になった。アルタクセス1世はセヴァン湖のそばに首都アルタシャトを建設した。
- ローマ軍に加勢した見返りに、エウメネス2世ソテルは大きな領土を与えられた。エウメネス2世はゲリボル半島とセレウコス朝が支配していたアナトリアの大部分の支配権を得た。
ローマ
芸術
誕生
- ヒッパルコス、ギリシアの天文学者、地理学者、数学者(+ 紀元前120年)
- コルネリア・アフリカナ、スキピオ・アフリカヌスの娘、グラックス兄弟の母(+ 紀元前100年)
死去
- ペルガのアポロニウス、ギリシアの天文学者、地理学者、数学者(* 紀元前262年)
- 曹参、前漢創設功労者のひとり、相国(* 生年不明)