悪魔の証明
悪魔の証明(あくまのしょうめい、ラテン語:probatio diabolica、英語:devil's proof)とは、所有権帰属の証明の困難性を比喩的に表現した言葉である。
概説
この表現は、ラテン語の probatio diabolica に由来し、所有権帰属の証明の困難性を示す表現である[1]。古くは中世ヨーロッパの法学者が、「古代ローマ法では土地所有権の証明には当該所有権の由来を逐一遡って立証する必要があり、立証は極めて困難だった」と主張するにあたり、この語を用いたことに由来する。日本の民法学でも、物権法の分野でこのような意味で現在でも使われている[2]。
古くは悪魔の証明に対する「神の証明」(probatio divina)という法概念があったともいう[3]。
起源と意義
ローマ法以来、いわゆる probatio diabolica すなわち悪魔の証明とは、「所有権を証明責任を負う当事者が、無限に連鎖する継承取得のいきさつを証明することの不能性および困難性があって必ずや敗訴する」という理屈を意味していた[4]。
現代の所有権訴訟の原型観というのは、ローマ法の rei vindicatio(所有物返還訴権)に遡ることができる。ローマでの所有物返還訴権は、以下の1から3へと次第に発展した[4]。
- legisactio sacramenti(神聖賭金訴訟)[4]
- 古典期のper sponsionem(=誓約による)訴訟[4]
- per formulampetitoriam(所有物返還請求に関する方式書)での訴訟[4]
1の神聖賭金訴訟では、両当事者がそれぞれ所有権者だ、との主張を行なった。被告は原告の主張を否認するだけで済まず、自身が所有権を有することを証明しなければならなかった[4]。この神聖賭金訴訟では、裁判官は、当事者のいずれが《より良い権利》(仏:droit meiiieur、独:besseres Recht)を有しているかを相対的証明に基づいて判断したとされているという[4]。
これに対して、2・3の訴訟では、原告のみが自己の所有権を証明し、被告のほうは原則的にそれを否認すれば足りる、とされた[4]。だが、この状況では、市民法上の所有権の取得のために必要な方式によって、問題となっている物(係争物)を取得したと証明したとするだけで十分と見なされたか、それとも、前の持ち主、前の前の持ち主…と遡ってそれを証明しなければならなかったか、という点については、大いに議論がある[4]。現代では学者の多くは後者の、遡って証明する方式だったと推定する見解のほうを採用している[4]。それでメンデルスゾーン(Albrecht Mendelssohn Bartholdy)は、以下のように述べた。
このように、所有権の帰属を証明するためには、ある人の過去の時点における所有権の帰属と、その後に当該人から所有権を取得した原因を証明する必要がある。所有権取得原因について権利自白が成立する場合や、原始取得が成立する場合を除き、前の所有者から所有権が移転されたことを証明する必要がある[5]。この場合、前の所有者の所有権の帰属について権利自白が成立すればここで証明は終わるが、ここで権利自白が成立しない場合は、前の所有者の所有権取得原因を更に証明しなければならない。このように無限後退に陥ってしまうため、所有権の証明は極めて困難だったと説明する。
もっとも、ローマ法では、rei vindicatio とは別の interdictum possessionis という占有訴権制度があり、事実上の支配そのものを保護することにより、悪魔の証明を免れることが可能だったとされる[6]。
現在では権利外観理論や権利公示制度の発達により、ローマ法での悪魔の証明という事態は起きなくなっている。ただし、権利の存在を推定する規定がある、いわゆる「法律上の権利推定」の場合、理屈の上では、権利の不存在を否定するためには、あらゆる原因による権利の発生原因たる事実が不存在であること、発生した権利が消滅した場合であっても、その後さらにあらゆる原因による権利の発生原因事実が発生していないことを証明しなければならないことになる[7]。そのようなこともあり、権利推定に対する反対の証明について 「悪魔の証明」という語が日本の法学界で使われることがある[8]。
転用
なお、上述の所有権に関する概念が転用され、民事訴訟法学者の兼子一らによって、消極的事実の証明の困難性を指して比喩的に用いられる例として使われたこともある。一説には民事訴訟法学者の兼子一が昭和12年の論文で用いたのが最初ともいう。 なお、「諸外国テンプレート:どこでもテンプレート:要検証同様の用法が存在する」[9]。
出典・脚注
- 注
- 出典
- ↑ 。Black's Law Dictionary
- ↑ 舟橋諄一『物権法』275頁
- ↑ Pollock, Sir Frederick, et al. The history of English law before the time of Edward
- ↑ 4.0 4.1 4.2 4.3 4.4 4.5 4.6 4.7 4.8 4.9 テンプレート:Cite journal
- ↑ 司法研修所編『新問題研究 要件事実』60頁(法曹会)
- ↑ 川島武宜『新版 所有権法の理論』127頁
- ↑ 伊藤眞『民事訴訟法 第4版』361頁・注266
- ↑ 前掲・伊藤362頁
- ↑ Barendrecht, J.M., et al. Service contracts. Principles of European law / Study Group on a European Civil Code, 1860-0905 ;
参考文献
関連文献
- 七戸克彦(1989)「登記の推定力 : 比較法的考察」法学研究