アンティオキア教会
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アンティオキア教会(アンティオケイアきょうかい, テンプレート:Lang-en)とは、歴史的シリアのアンティオキアに、キリスト教の最初期の時代に形成された教会[1][2]、およびこれより発展して現代のシリアに存続する各教会の総称(もしくは個別の名称)[3]。
新約聖書(特に使徒言行録)各所に「アンティオキア」の名は見えており(初出箇所は使徒言行録 6:5)、最初期から伝道された地域であった。使徒言行録11章26節には、アンティオキアでキリスト教の信者が「クリスチャン」と呼ばれるようになったと記されている[2][4]。使徒言行録13章には、パウロとバルナバの初期の宣教を支援したことが書かれている[5]。伝承によってはペトロをアンティオキア初代の主教(司教・監督)であると伝えている[5]。
現代のシリアにもキリスト教の教会は存続しているが、カルケドン公会議による分裂や東西教会の分裂の結果、現在、アンティオキアの名を冠する総主教もしくは総大司教を戴く教派(教会)が以下の通りシリアに5つ存在する[3]。
- シリア正教会(非カルケドン派)
- アンティオキア総主教庁(アンティオキア正教会)(正教会)
- シリア典礼カトリック教会(東方典礼カトリック教会)
- マロン典礼カトリック教会(東方典礼カトリック教会)
- メルキト・ギリシャ典礼カトリック教会(東方典礼カトリック教会)
ただし、現在の総主教座もしくは総大司教座は、上記のいずれの教会のものも、小さな町となりトルコ領となっているアンティオキア(アンタキヤ)にではなく、シリアのダマスカスに置かれている[5](マロン典礼カトリック教会の総大司教座はレバノンに置かれている[6])。