顔回
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顔回(がんかい、紀元前521年 - 紀元前481年[1])は、孔子(孔丘)の弟子。回は名(諱)。字(あざな)は子淵(しえん)。ゆえに顔淵(がんえん)ともいう[2]。
生涯
魯の人。孔門十哲の一人で、随一の秀才。孔子にその将来を嘱望されるも夭折する。顏回は名誉栄達を求めず、ひたすら孔子の教えを理解し実践することを求めた。その暮らしぶりは極めて質素であったという。このことから老荘思想発生の一源流とみなす説もある。
『論語』には顔回への賛辞がいくつか見られる。たとえば孔子が「顔回ほど学を好む者を聞いたことがない」(雍也第六、先進第十一)や同門の秀才子貢が、「私は一を聞いて二を知る者、顔回は一を聞きて十を知る者」(公冶長第五)、と述べたことが記載されている。顔回は孔子から後継者として見なされていた。それだけに早世した時の孔子の落胆は激しく、孔子は「ああ、天われをほろぼせり」(先進第十一)と慨嘆した。
比喩的用法
上記の経歴から、「最高位の弟子」の代表として用いられる事例がある。
呼称について
名を回と言い、字を淵と言うが、これは淵は水が回るということで、名と字が相応じ対峙している。
小説
- 顔回が主人公である。魯の国の呪術集団、顔儒(がんじゅ)の後継者と設定されている。
脚注
- ↑ 没年を紀元前490年とする資料(『中国人名事典』ISBN 4-8169-1164-2、『中国神話・伝説大事典』ISBN 4-469-01261-0)もある。
- ↑ Yahoo!百科事典「顔回」