全国社会人ラグビーフットボール大会
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全国社会人ラグビーフットボール大会(ぜんこくしゃかいじんらぐびーふっとぼーるたいかい)は、1948年度から2002年度まで開催された日本の社会人ラグビーチームの王者を決定する大会。日本ラグビー協会と朝日新聞社が主催していた。ジャパンラグビートップリーグが2003年に創設したことに伴い発展解消した。
概要
第1回(1948年度)から第40回(1987年度)までは各地域での予選を行い出場、第41回(1988年度)以降は東日本、関西、西日本の3地区リーグの上位チームが出場した。
参加チームは第8回(1955年度)まで3〜8チームだったが、第9回(1956年度)以降は16チームが参加していた。[1]完全なトーナメントで開催されたことが多かったが、第48回(1994年度)から第52回(1999年度)と第55回(2002年度)は4チームずつ4組に分けた予選プール(リーグ戦)を行い、各組2位までの8チームが決勝トーナメントに進出する方式を採用していた。
1960年度に日本ラグビーフットボール選手権大会(開設当初は日本協会招待NHK杯争奪ラグビー大会)が新設されてからは、この大会の上位チーム(当初は優勝チームのみ)が日本選手権の出場権を得た。
直接的な後継ではないものの、開催時期などからトップ8トーナメント・マイクロソフトカップがその役割を引き継いでいる。
歴代決勝記録
回数 | 年度 | 優勝チーム | スコア | 準優勝チーム | 備考 |
---|---|---|---|---|---|
1 | 1948 | 配炭公団 | 57-3 | 近鉄 | 3チーム出場。東北肥料(後のコープケミカル)は出場辞退。 |
2 | 1949 | 三井化学 | 39-0 | 住友奔別 | 7チーム出場。仙台鉄道管理局は出場辞退。 |
3 | 1950 | 八幡製鉄 | 32-0 | トヨタ自工 | |
4 | 1951 | 八幡製鉄 | 11-3 | 近鉄 | 8チーム出場。 |
5 | 1952 | 八幡製鉄 | 15-6 | 川崎重工 | 7チーム出場。住友奔別は出場辞退。 |
6 | 1953 | 九州電力 | 3-3 | - | 両チーム優勝。8チーム参加、以後第8回大会まで継承。 |
近鉄 | |||||
7 | 1954 | 八幡製鉄 | 19-0 | 大映 | |
8 | 1955 | 八幡製鉄 | 24-5 | 近鉄 | |
9 | 1956 | 近鉄 | 11-0 | 九州電力 | 参加枠を16チームに拡大、以後最終回まで継承される。また、前年大会優勝チームは地区予選免除で出場可能に。近鉄が全4試合完封勝ちを達成。 |
10 | 1957 | 近鉄 | 12-3 | 京都市役所 | |
11 | 1958 | 八幡製鉄 | 9-0 | 近鉄 | |
12 | 1959 | 八幡製鉄 | 13-8 | 近鉄 | |
13 | 1960 | 八幡製鉄 | 3-0 | 近鉄 | 第1回 日本協会招待NHK杯争奪ラグビー大会が開始される。優勝の八幡製鉄が出場し、日本大学を破って初代優勝チームとなった。 |
14 | 1961 | 近鉄 | 6-5 | 八幡製鉄 | |
15 | 1962 | 八幡製鉄 | 19-3 | 谷藤機械 | |
16 | 1963 | 八幡製鉄 | 16-3 | 近鉄 | 第1回 第1回日本ラグビーフットボール選手権大会が開催され、優勝の八幡製鉄、2位の近鉄が出場したが、ともに同志社大学に敗退し、優勝をさらわれた。 |
17 | 1964 | 八幡製鉄 | 25-3 | トヨタ自工 | |
18 | 1965 | 八幡製鉄 | 8-3 | 近鉄 | |
19 | 1966 | 近鉄 | 15-3 | トヨタ自工 | |
20 | 1967 | 近鉄 | 6-5 | トヨタ自工 | |
21 | 1968 | トヨタ自工 | 19-13 | 八幡製鉄 | |
22 | 1969 | 近鉄 | 17-8 | トヨタ自工 | 日本選手権には近鉄もトヨタ自工も辞退したため富士鉄釜石が代替出場 |
23 | 1970 | 新日鉄釜石 | 6-6 | - | 両チーム優勝。抽選で新日鉄釜石が日本選手権進出 |
リコー | |||||
24 | 1971 | 三菱自工京都 | 22-11 | リコー | |
25 | 1972 | リコー | 29-3 | 三菱自工京都 | |
26 | 1973 | リコー | 4-3 | 近鉄 | |
27 | 1974 | 近鉄 | 10-7 | リコー | |
28 | 1975 | 三菱自工京都 | 17-10 | 東京三洋電機 | |
29 | 1976 | 新日鉄釜石 | 27-3 | トヨタ自工 | |
30 | 1977 | トヨタ自工 | 19-15 | 東京三洋電機 | |
31 | 1978 | 新日鉄釜石 | 15-3 | 三菱自工京都 | |
32 | 1979 | 新日鉄釜石 | 27-13 | 東京三洋電機 | |
33 | 1980 | 新日鉄釜石 | 31-15 | 東京三洋電機 | |
34 | 1981 | 新日鉄釜石 | 19-0 | トヨタ自工 | |
35 | 1982 | 新日鉄釜石 | 16-0 | トヨタ自動車 | |
36 | 1983 | 新日鉄釜石 | 31-0 | 東芝府中 | |
37 | 1984 | 新日鉄釜石 | 22-0 | 神戸製鋼 | |
38 | 1985 | トヨタ自動車 | 19-7 | 神戸製鋼 | |
39 | 1986 | トヨタ自動車 | 19-6 | 新日鉄釜石 | |
40 | 1987 | 東芝府中 | 13-6 | トヨタ自動車 | |
41 | 1988 | 神戸製鋼 | 23-9 | 東芝府中 | 東日本社会人リーグ発足に伴って地区予選制度を廃止し、東日本6、関西5、西日本3、前年優勝1という形で出場枠を割振。 |
42 | 1989 | 神戸製鋼 | 28-15 | サントリー | 前年優勝チーム出場枠を廃止。 |
43 | 1990 | 神戸製鋼 | 18-16 | 三洋電機 | |
44 | 1991 | 神戸製鋼 | 24-15 | 三洋電機 | |
45 | 1992 | 神戸製鋼 | 20-19 | 東芝府中 | |
46 | 1993 | 神戸製鋼 | 18-3 | 三洋電機 | |
47 | 1994 | 神戸製鋼 | 37-14 | 東芝府中 | |
48 | 1995 | サントリー | 27-27 | - | 両チーム優勝。トライ数4-3でサントリーが日本選手権進出。今大会より予選プール & 決勝トーナメントという二本立てとなる、ワールドカップ方式を導入。 |
三洋電機 | |||||
49 | 1996 | 東芝府中 | 36-21 | 三洋電機 | |
50 | 1997 | 東芝府中 | 14-6 | サントリー | 今大会より日本選手権出場枠が拡張された。 |
51 | 1998 | トヨタ自動車 | 28-27 | サントリー | |
52 | 1999 | 神戸製鋼 | 35-26 | ワールド | |
53 | 2000 | 神戸製鋼 | 29-26 | トヨタ自動車 | 当大会及び第54回大会は従前のトーナメント方式で実施。 |
54 | 2001 | サントリー | 50-31 | 神戸製鋼 | |
55 | 2002 | サントリー | 38-25 | 東芝府中 | 最後の大会。ワールドカップ方式が復活。 |
- 太字はNHK杯→日本選手権も優勝。
放送
- 放送開始時期は不明だが、しばらくは、秩父宮ラグビー場での開催のときはテレビ朝日が、近鉄花園ラグビー場での開催のときは朝日放送が放映権を有し、それぞれの局アナが実況を担当した。
- しかし、秩父宮での開催時のみ、1986年度の大会からテレビ東京に放映権が移った。
- 1994年度より、秩父宮と花園の両方で試合を行う方式に改められたが、この年度よりテレビ朝日がテレビ東京と入れ替わる形で当大会の放送に復帰。以後、2002年度まで決勝戦の模様をテレビ朝日系列全国ネットで放送された。決勝戦の会場は毎年交互で秩父宮ラグビー場ではテレビ朝日のアナウンサーが実況を担当。また近鉄花園ラグビー場では朝日放送のアナウンサーが実況を担当していた。
脚注
テンプレート:Reflist- ↑ 『朝日新聞』 2002年12月14日朝刊より。