百物語
百物語(ひゃくものがたり)は、日本の伝統的な怪談会のスタイルのひとつである。怪談を100話語り終えると、本物の怪が現れるとされる。起源は不明だが、主君に近侍して話し相手を務めた中世の御伽衆に由来するとも、武家の肝試しに始まったとも言われている[1]。
こうした怪談を集めた本も多く刊行されており、延宝5年(1677年)の「諸国百物語」、宝永3年(1706年)の「御伽百物語」、享保17年(1732年)の「太平百物語」などが知られている。怪談文学と称され、室町時代に始まり、江戸期に一種のブームになったという。
現代では森鴎外の作品に同名の小説があるほか、手塚治虫、杉浦日向子の作品にも同名の漫画がある。「妖怪百物語」という映画も制作された。
また「百物語」の語は、多数のエピソードを集めたとの意味で、「○○百物語」などとしてよく使われる成句となっている。
方法
寛文6年(1666年)の浅井了意による仮名草子「伽婢子(おとぎぼうこ)」などによれば、伝統的な方法は以下のようである。
- 新月の夜に数人以上のグループで行う。場所はそのグループの誰かの家、3間の部屋を用いる(2間でもよい)。3部屋の配置はL字型になっていると望ましい。
- 参加者が集まる部屋は無灯。その隣の部屋も無灯。いちばん奥まった部屋に100本の灯心を備えた行灯と、文机の上に鏡を置く。行灯には青い紙を張る。
- 参加者は青い衣をまとい、帯刀せず入室する。その他の危険物も部屋からは除去する(魔よけのために刀を飾るという流儀もあったという)。
- 怪談を1話かたり終えたら、手探りで隣の部屋を通って行灯のある部屋に行く。そこで灯心を1本引き抜いて消し、自分の顔を鏡で見、元の部屋にもどる。その間もグループは話を続けてよい。
- ここで語られる怪談は、現在でいう幽霊や妖怪が登場する怪談ではなく、いわゆる不思議話・因縁話などでよい。
これを続け、100話目を語り終え、灯心がすべて引き抜かれて真の闇が訪れたときに、なんらかの本物の怪が現れるとされる。
実行する際には、99話でやめ、朝を待つという。これは「怖いもの見たさ」ならぬ「怖い話聞きたさ」ゆえのひとつのレクリエーションでもあるため、本当に怪がおこっては困るからだと推測される。今でいう肝試し・度胸試しのひとつともいえ、武家において行われたともいわれる。
江戸末期からは行灯(灯心)の代わりに蝋燭を用い、それを怪談会の行われる部屋の真ん中に設置し、実際に百話をかたる会などが催されるようになったという。また、本物の怪の具体例として青行燈が現れるとするものなどもある。100話を語り終えた際、または会の途中に実際に怪が現れたとの記録も書物には残されているが、真偽の程は定かでない。
起源の考察
喜多村信節(1784年 - 1856年)の「嬉遊笑覧(きゆうしょうらん)」によれば、不寝番である夜伽(よとぎ)をつとめる人々が、その時間を利用して物語を語り合う「巡物語」が、その形式上の起源ではないかとしている。
脚注
- ↑ 『江戸東京怪談文学散歩』東雅夫 角川学芸出版 2008年
関連項目
外部リンク
- 百物語 - 森鴎外の作品(青空文庫)
- 北斎「百物語」復刻版コラム - 北斎「百物語」(アダチ版画研究所制作・京極夏彦監修)