認識台湾

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認識台湾(にんしきたいわん)は、台湾中華民国)の中学生を対象にした教科書であり、地理篇・歴史篇・社会篇の3科が存在した。1997年民国86年)度から台湾全土で使われるようになったが、陳水扁政権下の九年一貫課程政策の導入で消滅した。

略歴・概要

背景

第二次世界大戦後の台湾では、従来は中国国民党の監修の下に、台湾の中学生たちは、台湾ローカルの歴史ではなく中国の歴史を教えられてきた。蒋介石の失脚後、その長男の蒋経国が台湾の政治システムのリベラル化を推進し、1986年(民国75年、昭和61年)に台湾における戒厳令を解いた。蒋経国の没後、初の台湾ネイティヴの総統である李登輝がその政策を引き継ぎ、1996年(民国85年、平成8年)に初の正副総統直接選挙である「1996年中華民国総統選挙」実施した。これらを背景にして、教科書『認識台湾』は生まれた[1]

歴史篇

『認識台湾』は、1996年に発行され、1997年に台湾の国民中学(わが国の中学校に相当)の教科書に採用された。同教科書は、アジアでの関心を巻き起こした。台湾の従来の歴史教科書では軽視されていた台湾の歴史を「国史」として位置づけた。特に約3分の1を占める日本統治時代に対しては、客観的史実に基づき事例を写真とともに紹介しつつ、肯定的な記述がなされていた[1][2]

日本語訳

2000年(平成12年)3月、歴史篇のみだが1994年(民国83年、平成5年)10月発布版に依拠して編集・日本語訳、『台湾を知る 台湾国民中学歴史教科書』として雄山閣出版から出版されている。同書には「民国83年10月発布の歴史編に依拠して編集」、「国民中学1年生の前、後期での使用に供するものである」とのコメントが冒頭にある。また「文字はつとめて簡明で明確なものとし」、さらに「本文の内容にあわせて図表と写真を付し」とあるように、合計140点を越える図表と写真が網羅されている。訳者の1人、蔡易達(さい・いたつ、台湾・南投県生まれ)が、日本語訳にあたって、冒頭のコメントを執筆した。

日本では特に『認識台湾 (歴史篇)』を指すことが多いのは、日本語訳が歴史篇のみに限定されていることによる。

九年一貫課程政策の導入

2001年から暫定試行され、2003年より台湾全国で全面実施が行われた「九年一貫課程綱要」により、従来の教科単位の授業を行う概念から、学習領域を設定したカリキュラムへと、教育改革が行われた。

これに従い認識台湾は「社会学習領域」へと組み込まれ、消滅した[3]

関連事項

参考文献・註

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外部リンク

  • 1.0 1.1 英語版「Understanding Taiwan」の2008年7月31日版(Understanding Taiwan, 05:20, 31 July 2008)の記述を訳出・編集した。
  • 国立編訳館 編集『台湾を知る 台湾国民中学歴史教科書』、蔡易達・永山英樹 訳 、雄山閣出版、2000年3月 ISBN 4639016751
  • 台湾「国民中小学九年一貫課程綱要」の策定と七大学習領域の誕生 国立教育政策研究所 研究ノート