浜松町
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テンプレート:Pathnav テンプレート:Infobox Settlement 浜松町(はままつちょう)は東京都港区の地名。現行行政地名は浜松町一丁目および二丁目。住居表示実施済み区域である。芝地区総合支所管内にあたるエリアの一つ。
概要
港区北東部に位置し、JR山手線・JR京浜東北線・東京モノレール羽田線の浜松町駅、都営地下鉄浅草線・都営地下鉄大江戸線の大門駅がある。町域の大部分は浜松町駅・大門駅を中心としたビジネス街・商業地であり、ビル街の中にわずかに住宅が混在している。東京国際空港(羽田空港)へ伸びる東京モノレール羽田線の起点駅があることから、日本では主に駅名として広く知られている。
浜松町二丁目は、かつて芝新網町と呼ばれ、江戸時代から続く「三大貧民窟」の一つであり、乞胸(ごうむね)・願人(がんにん)など江戸特有の賤民の居住地であった[1]。この「三大貧民窟」は、いずれも徳川時代の旧非人系の被差別部落であり、資本主義の発展のもとで都市スラムとして拡大した[2]。テンプレート:See also
歴史
慶長年間、芝増上寺の代官である奥住久右衛門が名主を務め、当地域が久右衛門町と呼ばれるようになる。元禄9年(1696年)、遠州浜松出身の権兵衛が名主となり、町名が久右衛門町から芝浜松町に変更され、芝浜松町一丁目から四丁目が成立した。
沿革
- 明治元年(1868年)、東京府の成立にともない、芝浜松町一〜四丁目は東京府の所属となる。
- 明治5年(1872年)、周辺の武家地を併合し、町域を拡大する。
- 明治11年(1878年)、芝区の成立にともない、当地域は東京府芝区芝浜松町一〜四丁目となる。
- 明治22年(1889年)、東京市の成立にともない、当地域は東京市芝区芝浜松町一〜四丁目となる。
- 明治44年(1911年)5月1日、町名より「芝」の冠称が省かれ、芝区浜松町一〜四丁目となる。
- 昭和7年(1932年)12月1日、関東大震災後の復興のための大規模な町名整理が行われ、周辺の神明町・新網町・湊町などを編入し、新たに浜松町一〜四丁目が成立する。
- 昭和11年(1936年)、浜松町一丁目・二丁目の一部が海岸通一丁目となる。
- 昭和22年(1947年)、芝区が麻布区・赤坂区と合併して新たに港区が成立する。それにともない町名に再び「芝」の冠称がつき、東京都港区芝浜松町一〜四丁目となる。
- 昭和47年(1972年)1月1日、芝浜松町に住居表示が実施され、現在の浜松町一・二丁目が成立する。また、旧芝浜松町の一部は芝大門となる。
町名の変遷
実施後 | 実施年月日 | 実施前(各町名ともその一部) |
---|---|---|
浜松町一丁目 | 1972年1月1日 | 芝浜松町一丁目、芝浜松町二丁目 |
浜松町二丁目 | 芝浜松町三丁目、芝浜松町四丁目 | |
芝大門一丁目 | 1972年1月1日 | 芝浜松町一丁目、芝浜松町二丁目など (詳しくは芝大門の項を参照のこと) |
芝大門二丁目 | 芝浜松町三丁目、芝浜松町四丁目など (詳しくは芝大門の項を参照のこと) |
- 港区内の住居表示実施区域で「町」が付く町名はここ「浜松町」のみである。港区内で「町」が付く残りの麻布永坂町・麻布狸穴町は住居表示未実施。
施設
浜松町一丁目
浜松町二丁目
交通
鉄道
路線バス
- 浜松町バスターミナル(世界貿易センタービル別館内)
道路
- 国道15号(第一京浜)