一柳直次

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
2014年4月14日 (月) 08:18時点における桂鷺淵 (トーク)による版
(差分) ← 古い版 | 最新版 (差分) | 新しい版 → (差分)
移動先: 案内検索

テンプレート:基礎情報 武士

一柳 直次(ひとつやなぎ なおつぐ)は、江戸時代前期の大名。播磨小野藩の第2代藩主。

生涯

元和9年(1623年)、丹波園部藩主・小出吉親の次男として生まれる[1]寛永10年(1633年)、徳川家光に初謁[1]

寛永19年(1642年)、先代藩主・直家の臨終に際して養子となる[1]。直家は自らの娘を直次に娶せ遺領を継がせようとした[1]。しかしこれが末期養子の禁に抵触するという理由でとがめられ、寛永20年(1643年)3月15日に伊予国の1万8600石が収公された[1]。直家の娘と直次との結婚は許され、播磨国加東郡の1万石については相続が認められた[1]。この結果、小野藩の所領は2万8600石から1万石に減少した。同年4月1日、直次は徳川家光に拝謁し、家光と家綱に刀を献上している[1]

万治元年(1658年)12月27日、江戸上野の寒松院で死去し、跡を長男・末礼が継いだ。享年36。

脚注

テンプレート:Reflist

参考文献

外部リンク

テンプレート:小野藩主
  1. 1.0 1.1 1.2 1.3 1.4 1.5 1.6 引用エラー: 無効な <ref> タグです。 「kanseifu604」という名前の引用句に対するテキストが指定されていません