真田熊之助

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
2013年6月10日 (月) 20:39時点におけるしまあじ (トーク)による版
(差分) ← 古い版 | 最新版 (差分) | 新しい版 → (差分)
移動先: 案内検索

テンプレート:出典の明記 真田 熊之助(さなだ くまのすけ、寛永9年(1632年)5月 - 寛永15年11月6日1638年12月11日))は江戸時代前期の大名上野国沼田城の2代城主。初代藩主真田信吉の長男。母は信吉の正室・松仙院(酒井忠世の娘)。異母弟に真田信利。官位はなし。諡号は一陽院。

生涯 

寛永11年(1634年)11月28日に父・信吉が死去したため、翌年12月5日にわずか4歳で家督を継いで沼田城主となる。幼少のため、叔父の信政が後見人に就いて政務を行なった。しかし寛永15年(1638年)11月6日に7歳で夭折。嗣子が居るはずも無く、その跡は信政が継いだ。

テンプレート:沼田藩主