ローマ王
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ローマ王は、
ドイツ王と「ローマ王」
ローマ王は正確にはローマ人の王(ラテン語:Rex Romanorum)のことで、神聖ローマ帝国では、皇帝に選出されたが、まだローマ皇帝として戴冠していない者の称号で、この場合は事実上の皇帝と考えて良い。この称号はオットー大帝時代から存在したが、ハインリヒ2世の時代まではドイツ王の称号のほうが良く使われていた。
ハインリヒ3世と「ローマ王」
「黒王」とよばれたハインリヒ3世はローマ法王庁の改革にみずから乗り出し、1046年には、ストリの教会会議でベネディクトゥス9世とシルウェステル3世の聖職剥奪とグレゴリウス6世への辞職勧告を決め、信頼するドイツ人司教を教皇位につけてクレメンス2世とし、その手から戴冠を受けた。それまで、ハインリヒ3世は7年間、みずから「ローマ王」を名のった。これが、のちに神聖ローマ皇帝位継承者がローマ王を名のる習慣の端緒となった[1]。
ハプスブルク家と「ローマ王」
また、皇帝在位中に次の皇帝予定者がこの称号を受けることもあった。ローマ教皇から神聖ローマ皇帝に推戴されない場合や対立王として立てられた場合、後世にはドイツ王と呼ばれることが多い。神聖ローマ帝国後期において、およそ350年間帝位を独占し続けたハプスブルク家は、皇帝の在位中に自家の人間をローマ王に就けることによって長期の世襲を成功させた。
「ローマ王」ナポレオン2世
フランス皇帝ナポレオン1世は息子のナポレオン2世をローマ王にしている。これは「ローマの王」であって「ローマ人の王」ではないが、帝位の第一継承順位者という意味は同じである。
脚注
- ↑ 菊池(2003)
関連項目
参考文献
- 菊池良生『神聖ローマ帝国』講談社(講談社現代新書)、2003年7月、ISBN 4-06-149673-5テンプレート:Asbox