湘南電気鉄道デ1形電車
湘南電気鉄道デ1形電車(しょうなんでんきてつどうデ1がたでんしゃ)は、京浜急行電鉄の前身のひとつである湘南電気鉄道が導入し、のちに東京急行電鉄を経て京浜急行電鉄に在籍した電車である。本項ではのちに本形式と合わせて京急230形電車(けいきゅう230がたでんしゃ)に統合された湘南電気鉄道デ26形電車、京浜電気鉄道デ71形電車・デ83形電車・デ101形電車についてもあわせて記述する。
目次
概要
京浜電気鉄道(後の京浜急行電鉄)の子会社である湘南電気鉄道の新規開業に備えて製造されたデ1形に始まり、湘南・京浜の両社で同系車が合わせて55両製造された。路面電車スタイルを脱しきれていなかった昭和初期の京浜電鉄のイメージを一新させた軽量高速電車であり、戦前関東私鉄の一時代を築いた名車と評されている。
第二次世界大戦中の「大東急」への合併に伴い、デハ5230形およびデハ5170形に整理統合され、戦後京浜急行電鉄の分離独立時にそれぞれデハ230形およびクハ350形へ改番された。
本形式とその同系車各形式の概要は以下の通り。
湘南電気鉄道デ1形
1930年に湘南電気鉄道の開業に伴う完全新規設計の新造車として神戸の川崎車両兵庫工場で1 - 25の計25両が製造された。本形式の基本となった車両であり、当初は扉間中央部に固定式クロスシートが並ぶセミクロスシート車であった。京浜電鉄への乗り入れを考慮して直流600V/1,500Vの複電圧仕様として各種機器が設計されている。なおこのグループは、同時製作の電動貨車を含め、台車の軸受にローラーベアリング[1]を全面採用している。新造の時点では東京地下鉄道との直通運転が計画されており、台車には第三軌条用のコレクターシュー(集電靴)の取り付け準備も行われていた。
京浜電気鉄道デ71形
1932年に、翌年に控えた京浜・湘南相互乗り入れによる浦賀-品川直通に合わせて汽車製造会社で71 - 82の計11両が製造された、2扉セミクロスシート両運転台車。京浜初の鉄道線規格車両である。この車両から京浜電鉄は菱枠パンタグラフを採用した。後述するように、鉄道省の理解が得られず台枠構造が変更されたため、レール面から車体裾までの高さが湘南デ1形より25cm高くなった。このデ71形は京浜電鉄横浜以東の軌間が1,435mmに改軌される前に製造され、改軌以前は京浜電鉄横浜 - 日ノ出町間および湘南電鉄日ノ出町 - 黄金町間の京浜電鉄・湘南電鉄連絡線ならびに湘南電鉄日ノ出町以南で使用された。
京浜電気鉄道デ83形
1936年にデ71形の増備車として汽車製造会社で83 - 94の計11両が製造された。戦時体制への移行による乗客増に伴い、混雑対策として本形式以降全車がロングシート車として製造された。外寸および形状はデ71形に準ずるが、室内灯が2灯増設された他、妻面幕板中央に通風器が設けられたため前照灯が屋根上に移設された。
湘南電気鉄道デ26形
1939年にデ1形の増備車として26 - 31の計6両が製造された。京浜デ83形に準じ、2扉ロングシートに変更されている。外寸も京浜デ83形に準ずるが、溶接工法を取り入れウィンドウ・シルのリベットが無くなった。また、屋根上の前照灯後部に流線型のケーシングが取り付けられ、屋根に半埋め込み式の造形となっている点でも異なる。
京浜電気鉄道デ101形
1940年に101 - 108の計8両が汽車製造会社で製造された。京浜電鉄線内でのみ使用するために設計された600V専用3扉ロングシート車である。外寸はデ83形に準じ、東京地下鉄道1000形電車とほぼ同形となったほか、溶接組み立ての使用範囲が拡大され車体からリベットが無くなった。ただし制御装置は従来車が弱め界磁付き自動加速制御器を搭載していたのに対し、本車は京浜の在来車との混用の都合や部品調達難から、旧来のHL式制御器+SMEブレーキにグレードダウンした他、モーターの定格出力も低下するなど、戦争の影響によると思われるいくつかの仕様変更が実施されている。
車体
車体長16m・車幅2.5m、窓配置d2D(1)6(1)D3(d:乗務員扉、D:客用扉、(1)戸袋窓。湘南デ1、湘南デ26、京浜デ71、京浜デ83の各形)あるいはd1D(1)2(1)D3(1)D2(京浜デ101形)の半鋼製車体を備える。この車体規格は設計当時の東京地下鉄道・東京高速鉄道(→帝都高速度交通営団→東京地下鉄銀座線)の車両規格と卑近である。当時京浜電気鉄道の子会社に京浜地下鉄道という会社が存在し、品川より地下線を開削し都心乗り入れを画策していたことの名残である。車体規格と車両の保安装置・サードレール集電靴設置の条件さえ満たせば、軌間が1,435mmと同様なので乗り入れが可能であった。
車体設計上、特筆すべきは初号形式である湘南電鉄デ1形の台枠設計である。
同形式は台枠の左右側梁に厚さ180mmのコの字断面形鋼材を使用し、150mm厚の形鋼による横梁で連結、本来は車体荷重の大半を受け持つべき中梁も150mm厚形鋼材で済ませ、しかも横梁で分断された区画ごとにガゼットプレートでつなぎ合わせる、つまり車体の前後端を貫く主桁[2]としての中梁を持たせず、側梁と横梁による梯子状構造物全体で荷重を合理的かつ適切に分担する構造を採用している。これは軽量化を企図した、当時としては非常に斬新かつ先進的な構想に基づく設計で、実測車体重量11tという驚異的な軽量化を実現した[3]。しかしこの構造は監督官庁である鉄道省の担当官の理解が得られず[4]、続く京浜電鉄デ71形以降では180mm厚形鋼材による中梁を連結面間に通す、デ1形のそれと比して一歩後退した設計に変更されている。
運転台は半室式の両運転台で、車掌台側端部は妻窓直前まで座席が設置されている。座席は湘南電鉄デ1と京浜電鉄デ71形が遊覧客を考慮し扉間中央部に16名分の固定式クロスシートを備えたセミクロスシート、それ以外はロングシートである。
側窓は高さ1,052mm・幅760mm、と当時としては極めて大型の上段上昇、下段上昇式の2段窓が使用されている。妻面は丸妻三枚窓である。この窓寸法はデ1形設計時に経済的な定尺鋼板を極力カットせずに腰板に使用することから逆算で定められたものである。また、当初は大きな窓枠の支持・固定に「レニテント・ポスト」と称する極めて特殊かつ複雑な防音・防水機構を採用しているが、これは戦後の更新時に喪われた[5]。
なお、本形式およびその派生形式各種は、京浜電鉄本線の品川 - 北品川間に併用軌道区間が存在していた時代に竣工・就役しているが、いずれも排障器や救助網などを装備していない。
主要機器
主電動機
各形式の主電動機は以下の通り。いずれも直巻電動機で、吊り掛け式の駆動装置と組み合わせて使用される。
- 東洋電機製造TDK-553-A
- 端子電圧750V時1時間定格出力93.25kW≒125馬力(英馬力)、定格電流142A、定格回転数950rpm、最弱め界磁率64パーセント。
- 湘南電鉄デ1に搭載。この電動機は磁気回路の軽量化を目的として高回転仕様として設計され、軸受にSKF社製コロ軸受を採用している。この電動機と前述の軽量車体により、起動加速度は3.2km/h/sを実現する。
- この電動機は吊り掛け式駆動装置に対応する機種としては軽量かつ出力特性が良好で、戦後も絶縁強化などで出力を引き上げて110kW級としたモデル(TDK-553-EM)[6]が420形に採用され、以後、出力増強時に三菱電機MB-389BFR[7]に換装された一部形式を除く、戦後になって京浜急行電鉄が新造した吊り掛け式駆動装置を備える電動車全形式に、本形式の派生モデルが採用されている。
- 三菱電機MB-115AF
- 端子電圧750V時1時間定格出力93.3kW、定格回転数900rpm。
- 京浜電鉄デ71・デ83形・湘南電鉄デ26形に搭載。出力はTDK-553-Aと同等であるが、定格回転数が若干低い。
- 三菱電機MB-177-A
- 端子電圧600V時1時間定格出力59.68kW。
- 京浜電鉄デ101形に搭載。
なお、これらはそれぞれ定格回転数が異なるため、湘南電鉄デ1形は58:29(2.9)、京浜電鉄デ71・デ83形・湘南電鉄デ26形は57:20(2.85)、デ101形は69.22(3.14)と歯数比を違えてある。
主制御器
制御器は湘南電鉄デ1形には東洋電機製造製ES-508A、京浜電鉄デ71形・デ83形・湘南電鉄デ26形にはES-510Aを搭載する。いずれも自動進段機構を備えた電動カム軸式で、限流遮断機と電圧転換器による複電圧装置、高速運転に対応すべく界磁接触器による弱め界磁機能を備え、制御シーケンスはこれら2グループで共通である。
これに対し、京浜電鉄デ101形のみは京浜電鉄の600V区間専用とされ、在来車であるデ51形などと制御シーケンスに互換性のある三菱電機HL単位スイッチ式非自動加速制御器を搭載する。
台車
台車は湘南電鉄デ1形がMCB-R、京浜電鉄デ71形以降が汽車製造2HEと呼ばれるボールドウィンAA形を模倣したビルドアップ・イコライザー(組立釣合梁)式台車を装着する。2HEはMCB-Rの軸受を球面コロ軸受から通常の平軸受に変更したものである。
車輪は軽量化を目的として、910mmが一般的であった時代としては異例の840mm径のものを採用する[8]。
ブレーキ
ブレーキは湘南デ1形がウェスティングハウス・エアーブレーキ社(WABCO)のAMM自動空気ブレーキ(Mブレーキ)を、京浜電鉄デ71・デ83形・湘南電鉄デ26形が日本エヤーブレーキ社製のMブレーキを、京浜電鉄デ101形がSME非常弁付き直通ブレーキを、それぞれ搭載する。
集電装置
集電装置として、湘南電鉄デ1・デ26・京浜電鉄デ71・83の各形式は東洋電機製造C2菱枠パンタグラフを各車の浦賀寄りに1基ずつ搭載する。
これは設計当時の私鉄電車用パンタグラフの事実上の標準形式となっていた機種である。
なお、湘南電鉄デ1形については品川寄りにもパンタグラフを追加搭載可能となっていたが、一度も搭載されずに終わっている。
運用
戦前
新造以来、湘南電鉄と京浜電鉄の主力車として両社線で使用された。
初期には単行で運転されるケースが多く見られたが、軍港横須賀を控える湘南電鉄の沿線事情もあり、1930年代後半以降、徐々に輸送量が増大、やがて2両編成での運転が増加した。
そこで、輸送量の増大に対応するため、1940年のデ101形竣工と前後してデ1形とデ71形のクロスシート部分がロングシートに改造されている。
なお、1936年頃に湘南電鉄デ1形と京浜電鉄デ71形71・72については側面幕板部に通風器を設置する工事が実施されている。
戦時体制
1941年に京浜電鉄・湘南電鉄・湘南半島自動車を併合し、新体制の拡大京浜電鉄が誕生し、同年内に子会社の京浜地下鉄道と東京地下鉄道・東京高速鉄道が合併し帝都高速度交通営団(現・東京地下鉄)が誕生。1942年に五島慶太率いる東京横浜電鉄が京浜電鉄・小田急電鉄(旧・帝都電鉄を含む)を併合し東京急行電鉄、いわゆる「大東急」が誕生。京浜電鉄は東急品川営業所所管となる。
合併に伴う形式番号の整理・変更により、形態・性能の近似する湘南デ1形・デ26形・京浜デ71形・デ83形はデハ5230形に統合された。これに対し京浜デ101形は600V区間専用車、3扉であるためデハ5170形とされた。1945年4月15日に空襲でデハ5170形は全車焼失したが、1947年に制御車クハ5350形として復旧した。
戦後
1948年に大東急体制の解体により京浜急行電鉄が誕生し、同年内に形式番号が改正されデハ5230形はデハ230形に、クハ5350形はクハ350形となった。このクハ350形は各種整備の上で進駐軍専用車として運行された。
1952年にクハ351 - 354を電動車化し、休車中の電動貨車デワ10形の改造名義車を含めてデハ290形に形式変更されている[9]。
なお、戦後デハ230形については営団地下鉄で1000形の台車を交換した際に余剰となった台車が一部について転用され[10]、本来の台車と交換されている。
1963年からデハ230形に塗装変更、前照灯のシールドビーム化、尾灯の角形化、扉の交換、片運転台化、貫通路の設置、乗務員室の全室化といった大幅な更新修繕が行われ、2両固定編成となった。また、浦賀寄りの車両はパンタグラフが品川寄りから浦賀寄りに移設された。
1965年 - 1966年にかけてクハ140形が全廃され、ペアを組む相手を失ったデハ290形がクハ280形に改造され、一部のデハ230形が固定編成を解除され、クハ280形と編成を組んだ。その後運転台を撤去[11]し、サハ280形となり、デハ230形(片側は貫通路を閉鎖)に挟まれて営業運転に就いたが1976年までに廃車となっている。
1970年5月10日のダンプカーの衝突踏切事故によりデハ261が廃車となった後、1972年からはデハ230形の廃車が本格的に始まり、1978年の3月大師線での定期運用終了の後、4月9日にさよなら運転を行ったが、定員200名の募集があっという間に満杯となったので、急遽4月16日にもさよなら運転を行った後に廃車された。廃車後、14両のデハ230形が香川県の高松琴平電気鉄道に譲渡され、30形として使用されたが、2007年7月に志度線用の2両を最後に全車廃車となった。
保存車
- デハ248(湘南電鉄デ18)は湘南電鉄デ1形に復元され、久里浜工場で静態保存されている。ただし、車両番号はデ1のものになっている。
- デハ268が東京都新宿区西落合のホビーセンターカトー東京敷地内に静態保存されている。
- デハ236が埼玉県川口市西青木の青木町公園敷地内に静態保存されている。
- 油壷マリンパークにもデハ249とデハ250が編成を組んだ状態で静態保存されていたが、1988年に撤去、解体されたため現存しない。
逸話
- 戦時下の大東急時代、車両新製・修繕に手が回らず併合された各線間で車両の転配・入が頻繁に行われた。
- 1945年 - 1947年の間東急に運営が委託されていた相模鉄道(本線・厚木線)は横浜 - 二俣川間が600V電化をしていたが、二俣川 - 厚木間が小田原線と同じ1,500V電化線であったため、電動車不足を補うため複電圧設備を持つデハ5230形2両が台車を1,067mmのものに換装の上使用された。
脚注
参考文献
- 『鉄道ピクトリアル No.380 1980年9月臨時増刊号』、電気車研究会、1980年
- 慶應義塾大学鉄道研究会 『私鉄電車のアルバム 1A』、交友社、1980年
- 『鉄道ピクトリアル No.501 1988年9月臨時増刊号』、電気車研究会、1988年
- 『鉄道ピクトリアル No.656 1998年7月臨時増刊号』、電気車研究会、1998年
- 佐藤良介 『京急クロスシート車の系譜』 JTBキャンブックス、2003年
- ↑ スウェーデンSKF社製の輸入品が採用された。
- ↑ 船でいえば竜骨に相当する。
- ↑ 同時代の20m級鋼製車の車体重量は20t - 25t程度が一般的であった。
- ↑ 鉄道省→運輸省がこの構造を正しく理解するのは、第二次世界大戦後の航空技術者の流入以後のことである。つまり、川崎車輛によるデ1の車体構造は10年以上早すぎた設計であったことになる。このデ1形の台枠については、開業日が迫っていたこともあり特認が得られたが、以後この構造とを採用しないことが認可の付帯条件とされた。このような経緯もあって、デ1形については運用開始後に台枠について徹底的かつ精密な実測が行われたが、この際に台枠の変形や垂下がほとんど起きておらず、川崎車輛技術陣の設計が適切であったことが確認されている。なお、戦後は車両軽量化の一手段としてこの設計が、湘南電車こと80系電車をはじめ、準張殻構造車体の一般化までに造られた国鉄車両に積極的に採用されている。
- ↑ 保存車の復元に際してもこの機構の復元は省略された。
- ↑ 端子電圧750V時1時間定格出力110kW、定格回転数955rpm。
- ↑ 端子電圧750V時1時間定格出力150kW、定格回転数1,000rpm。
- ↑ このことも主電動機定格回転数が引き上げられた一因となっている。
- ↑ 実際のデワ10形は解体された。
- ↑ TS-1000と呼称。なお、この台車はTとSの2文字を重ねて表記する独特の形式名表記となっている。
- ↑ この際、旧運転台側には貫通路は設置されず、尾灯も撤去されなかった。