島津久豊
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島津 久豊(しまづ ひさとよ)は、室町時代の武将、守護大名。薩摩・大隅・日向守護。島津氏第8代当主。6代当主・島津氏久の次男で元久の弟。子に忠国、用久、季久。
応永18年(1411年)に兄が死去、甥の仲翁守邦は出家していたため、兄から後継者に決められていた甥の伊集院煕久を追放し8代当主となった。久豊の強引なやり方により国内が久豊派・伊集院氏派に分かれて争いになり、伊集院頼久(煕久の父)と衝突した。総州家の島津久世が頼久の味方になるなど一時苦戦したが、応永23年(1416年)に久世を討ち、翌応永24年(1417年)に和睦が成立。頼久は久豊に降伏し、後継者問題に決着がついた。
応永29年(1422年)に総州家の島津守久(久世の父)を肥後に追放して総州家・奥州家の両島津氏の抗争も終結させた。室町幕府は久豊の強引な家督相続に対して反対していたが、久豊が総州家を追い出し島津氏を束ねた事を認め守護職を与えた。これにより、島津氏の守護領国制は完成したのである。その後日向への進出を図るも途中で病死。享年51。
家督は嫡男の忠国が継いだ。また、2人の息子用久と季久は後に薩州家、豊州家を興した。
参考文献
- 都城市史編さん委員会編『都城市史 通史編 中世・近世』都城市、2005年。