秋月種樹
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
2014年7月27日 (日) 00:48時点における60.62.156.41 (トーク)による版
テンプレート:基礎情報 武士 秋月 種樹(あきづき たねたつ)は、幕末・明治期の政治家。日向国高鍋藩の世嗣。貴族院議員、参与、明治天皇侍読。詩文に優れ、書家としても知られた。
経歴
9代高鍋藩主・秋月種任の三男として生まれる。安井息軒、塩谷宕陰らに師事する。若年より英明で知られ、小笠原明山、本多静山と並んで学問界の三公子と称された。文久2年(1862年)11月14日、部屋住みの身でありながら幕府学問所奉行に登用される。文久3年(1863年)6月26日、兄種殷の養子となる。同年9月28日、若年寄格との兼任を命じられた。秋月家は2万7000石の外様大名であり、異例の抜擢であった。元治元年(1864年)5月28日、学問所奉行を解任されて、将軍徳川家茂の侍読に任じられた。慶応3年(1867年)6月21日、若年寄に任ぜられるものの、12月25日に辞任した。
慶応4年(1868年)2月10日、上洛し、新政府支持の姿勢を示した。同年2月、新政府の参与に就任した。内国事務局に配属された。その後、公議所議長・左院少議官などを歴任した。明治5年(1872年)、海外遊学。明治7年(1874年)5月13日、養父種殷の死去により家督を相続した。明治8年(1875年)7月から明治14年(1881年)7月まで元老院議官を務めた。明治14年4月2日、隠居し、息子種繁に家督を譲った。明治23年(1890年)10月20日、錦鶏間祗候となる[1]。明治27年(1894年)1月23日、貴族院議員(勅撰)になった。
明治37年(1904年)10月、病のため没する。享年71。従二位勲二等に叙せられる。
脚注
参考文献
- 西郷隆盛『西郷南洲遺訓 附 手抄言志録及遺文』山田済斎編、岩波書店〈岩波文庫〉、1939年、ISBN 4-00-331011-X / 〈ワイド版岩波文庫〉、2006年1月、ISBN 4-00-007265-X
- 68頁に秋月種樹「南洲言志録手抄序」を収録。70頁に秋月古香略傳を収録。
外部リンク
- 西郷隆盛手抄『言志録 南洲手抄』秋月種樹評、博聞社、明治21年5月17日(近代デジタルライブラリー)
- 秋月 種樹:作家別作品リスト(青空文庫)
- ↑ 『官報』第2195号、明治23年10月22日。